もはやメモ。笑
人生の棚卸しを赤裸々にやってみたので、残しておきます。
- 主に「選択」の時に「なぜ?」を自問自答
- 直感の裏にあった「理由」や「本質」を分析
- 選んだことによる「トラウマ」や「後悔」の洗い出し
という観点で、ほぼ我流で作りました。
- 就活間近などで自己分析が必要な人
- 直感を自分で説明できない人
- 自分がどんな価値観を大事にしてきたのか
などを明確にしたい時に参考になるかと。
とはいえルールはなし!
とにかく、自分の経歴を説明できない自分が嫌だったので明確にしました。
▶︎幼少期
運動会の太鼓のオーディション
→目立てるから
→全く選ばれない
→人氣が必要
ドラゴンクエスト テリーのワンダーランド&ポケモン
→友達がやってるのを見て自分もやりたくなった
→みんなとの共通の話題が欲しかった
→自分でモンスターを育てて、自分だけのモンスターを作るのが好きだった
→対戦で自分の方が強いと照明したかった
▶︎小学校
常に学級委員をやった
→目立てるから
→みんなの役に立てる自分が好きだから
漢字テストで100点とりたくてカンニング
→100点とったことを親に褒められたかったから
→激しく後悔
陸上
→足が速いとモテたから笑
→長距離が周りの人より速いと分かったから
→人を追い抜かしていくのが好きだったから
少年野球
→仲のいい友達がやってたから
→切磋琢磨してスタメンを勝ち取るのが好きだった
→逆にスタメンじゃない時は悔しかった
バスケ
→スラムダンク 桜木に憧れて始めた
→ありがちだけど「リバウンドを制するものは試合を制する」って言葉が大好きだった
→流川とかみっちーが目立つのも分かるけど、泥臭く目立たないところでチームの役に立ちたいと思ってた
→多分「必要とされたい」って願望が一番だったのかも
▶︎中学校
野球部じゃなくてバスケ部にした理由
→少年野球の他のチームに強豪や上手い人がいっぱいいて、部活見学の時にその名だたるメンバーが揃いに揃って何十人にもなってた
→スタメンになれないかも...ってビビったのが本当の理由
→坊主が嫌だったからと人前では言ってた
→逃げ癖はここからついたか?
受験での言い訳
→前期受験をバッくれた事件
→しょうもないけど、高校受験のために塾に入った理由は、当時好きだった人と同じ高校に行きたかったから。笑
→前期受験間近にその子と喧嘩
→どうでもよくなる。そして前期を受けにいかない暴挙に出る。
→当然親も先生も塾の先生もなぜだかわからない
→沈黙を貫く。
→その後、勉強意欲も落ち、このままだと志望校には行けないと宣告される
→結果、志望校の偏差値を10落とす
→近くて通いやすいからという理由。笑
→多分逃げ癖②
▶︎高校
手術をしてもバスケは辞めなかった
→左足首の靭帯断裂により全治半年以上を宣告されるも、バスケは続けるためにリハビリに専念
→以後何度も捻挫で公式戦デビューが遅れる
→リハビリ中に、チームメンバーの特徴やシュート制度の研究をしていたことにより、復帰後スタメン復帰
→これは確固たる自信になった
大学受験
→1年次から国立を目指すと言って、入塾。
→大学に行く目的もやりたいこともなく勉強に身が入らない(言い訳)
→国立から早慶上智、早慶上智からG-MARCHとどんどんと下げる
→結局塾は行かなくなり、滑り止めの関東学院しか受からない
→逃げ癖③ならびに自信喪失
→周りに宣言するも、どんどんと目標を下げて、堂々としていられなくなる
▶︎大学
バスケサークル所属
→大学でもバスケは続けたかった
→サークルに所属するも、飲みとタバコが凄いサークルで、飲みが嫌だった。笑
→3年・4年ごろに自然にフェードアウト
ブライダルでのアルバイト
→大学に入ったら、自分のためになるものをと、憧れの結婚式場でのバイトを始める
→特に「ミスは許されない」という一生に一度の空間で緊張感は凄まじかった
→マリアージュ(ウェディングケーキ)を運ぶ仕事を任して頂いた時ほど緊張するものはなかった
→全体把握力やスタッフ同士の連携、先読み能力やお客様第一優先、逆算時間管理など
→キャプテンをはじめ、あの空間、一緒に働けるメンバー、仕事が大好きだった
→ある日人事移動で同じメンバーで働けなくなる&会場が変わる
→理不尽な喝や嫌味に負け始める
→楽しくなくなる
→他のメンバーがいなくなり始める
→自分もメールでフェードアウト
バスケの審判でのアルバイト
→高校のメンバーで作ったクラブチームで大会に参加してスカウト
→好きなバスケの審判ができるのは嬉しかった
→ブライダルのアルバイトと同じ土日が基本だったので量は出られなかった
→これまたしっかり卒業という形はとれずにフェードアウト
→ただ、今も大会にはお世話になっている
僕らの夏休みProject
→高校の時に何もできなかった復興支援のボランティアをやりたいと自発的に探して所属した学生団体
→東北に行き、現地の子どもたちと最高の夏休みを過ごす&最高の夏祭りを創る
→4人弟妹がいる5人兄弟の長男だったため、子どもは死ぬほど大好きだった
→案の定、子どもたちにも氣にいってもらい「しっぷ〜」とあだ名をつけてもらう
→1年目は本部に所属し、赤前へ
→もっと子どもとダイレクトに交流したいと思う
→2年目は自分の大学で支部を作成し、違う小学校へ
→赤前に行けないことを悔やむ
→3年目、ボランティアをするには経済難となり、支部長を辞め、フェードアウト
→今でも現地の子どもたちからの連絡やお世話になった方々から連絡を頂く
→しっかりと挨拶諸々、また会いたいという後ろめたさが自分を引っ張る
福田ゼミ
→経済学部では就職率が2番目に優秀なゼミに所属
→ゼミ長を勤め、うわまち商店街活性化プロジェクトを受けて行う
→学内での活動にだんだんと興味を失っていく(学外が面白すぎて)
タイでの異文化間交流
→中高同じだった先輩に声をかけていただき実現
→初海外
→2年目も行こうとしていたが、予定の都合が合わず断念
アチーブメントによるmyself106期 受講
→尊敬する先輩が受けていて「よかった」というのを聞いて受講
→目標を下げる癖が出て後悔する
→目標を下げたものの、全員が目標を達成できて嬉しかった
→「確かに目標は下げたかもだけど、この全員の達成の一部としてハヤテのムード作りだったり、いろんなことのおかげだと思うよ」というアシスタントの声かけは忘れない
→あの空間は大好き
BBQのアルバイト
→近所で平日に働けるネタになるバイト探しで自力で見つけた
→毎年店長とメンバーに恵まれて最後まで続けられた
家庭教師のアルバイト
→興味はあったところに自分のもとに舞い込んできた
→受けて続けていたものの、これまた生徒との予定が合わずにフェードアウト
就活
→当時付き合っていた彼女と今後も経済的に暮らしていけるなら何でもいいとすら思ってた
→もちろんそんなんで決まる訳もない
→3ヶ月ほどで燃え尽きる
→その1ヶ月後にフラれてそれ以降は就活すらしなかった
→最終選考まで行った面接もあったが、、、以下省略、詳細は別記事
アムウェイ(NBC)
→当時付き合っていた彼女のお姉さんがやっていたから、今後のことを考えるとやっておいた方がいいと思った
→アムウェイ自体の製品は、素晴らしく、今後稼ぎに余裕が出れば使いたいと思っている
→ただ、誰かにオススメするのは氣が引けた
→ネットワークビジネス自体の認知度が低く、かつマイナスイメージも抱えてる人が多いのを知っていた
→案の定、両親には否定された
→だれかに嫌われるのが嫌だったから、という理由で声かけはしたくなかった
→ただ、お姉さんをはじめ、関わってくださった方々は皆さん驚くほど言い方だったし、たくさんお世話になった
→別れてからは、いづらくなり、自然と連絡をとらなくなった
→繰り返すが、ネットワークビジネスは今後やろうとは思わないが、製品は使いたいと思ってる
→そしてお世話になったことは、しっかりと感謝を伝えにいかなければと思ってる
myself アシスタント
→4年5月からはじめ、3月までに計15回、日数にして約2ヶ月は費やした
→かかった金額もおおよそ20万円は優に超える
→なぜこんなにもずっと続けられたのだろうか
→「疾風がいてくれたおかげで」「疾風のおかげで」「いるだけで助かる」これらの言葉に最大限の喜びを感じていたからだろう
→人が変わっていく様を見るのは何よりだったし、今でもつながりがあるたくさんのmyself生が大好き
→ただし、人と向き合うばかりで自分と向き合わなかったのはお粗末
GrandHeart(独立という選択肢)
→フルコミッション
→myselfのアシスタントより優先順位が低かった
→なぜ?
→ビジネスに対する苦手意識
→自分のやろうとしていることがグレーゾーンなのではないかという懸念
→独立を辞める
Change 1期
→毎日の日報半年間、ロープレ、習慣改善
→やらなかったら仲間外れ感あるのが嫌だって理由。笑
→やはりその目的でやるのは辛かったし、途中何度も辞めたくなった。役者を目指すなら意味ないじゃんと
→ただ、最後までやり遂げた
→今となっては最後までやってよかったと思ってる
→すぐには使わなかったけど、日報もロープレも習慣改善も色んなことに役立てられる
→学んだことや得たものをどう活かすか次第で「意味あるもの」にも「意味ないもの」にもなる
大学中退
→この時点で役者を目指すことは決めていた
→表向きは役者を目指して、諦めそうになった時の背水の陣という理由
→本当は恥ずかしながら、残りたった2単位をとるのがめんどくさくなってしまった
→ゼミにもあまり行かなくなり、卒論にも手をつけなくなった
→役者を目指すのであれば、大卒という肩書きはいらないかもしれないとよぎる
→そうこうしている内にほぼ半年卒業が伸びる
→情けない
→50万円かけて半年で大卒という肩書きを得るか or 中退するか
→中退して役者の道に専念した方がいいに決まってる
→3月に中退
→当時後悔はなかった
→1年後、両親に申し訳なかったなと強く反省
→お世話になった先生をはじめ、とても失礼なことをしたなと
→今就活をしてみて、いかに中退が信用のないものかが身にしみている
▶︎2016年の1年間
野崎美子先生のワークショップ
→役者を目指すことをSNSで拡散
→友人がお世話になっていた人がいると、のざさんを紹介してもらう
→ワークショップに入りびたる。実質稽古の練習はここだった。
→6月に7月以降の稽古は舞台演出の都合上できないと言われる
→ついていってもいいですか?
→劇団男魂&浅野温子「イノチボンバイエ」へ
ブログ
→稽古に入り浸った時に、バイトができなくなるから今の内に収入源を作れればと思い立った
→書いていけば一生残る資産になると思った、生きた証にもなるなと
→なんだかんだ1年継続、総アクセス数は1年で40万PVと収益は15万円ほど
→なぜ続けられているか?このブログが発信&表現の自分にとっての拠り所になっているから
→今後は「他人ありきだった自分が己を知り、確固たる自分を築くためのメディア」「自分の幸せとは?自分の人生とは?を考えるブログ」として運用していく
→不特定多数に書くより、過去の自分に向けて書く方が、自分と似てる部分がある人に刺さる
→SEO対策で自分の記事がキーワード検索で1位に表示された時は感動した
→自分の届けたいもの・表現したいものを届けられる可能性にワクワク
→HTMLとCSSをいじってデザインを理想に近づけるのも楽しい
→自分だけのオリジナルの世界観の構築
→起承転結、構成、見やすさを意識する読み手を意識するのも楽しい
→影響力に直結する
→ライティングで仕事をもらえるようになる
→書くことが仕事になるとは思ってもみなかった
→ブログコンサルもやった
→人のブログの強みを考えたり、差別化を考えたり、アドバイスをすることはくそ楽しい
→もっと形式化、コンテンツ化、見える目標&ステップ化、実績を必ず出せる仕組みを構築しよう
イノチボンバイエ
→のざさんの演出家助手という形で参加させて頂く
→浅野温子さん、劇団男魂の皆さんをはじめ、本場で活躍する役者の方々がズラり
→本番までの毎日ほど楽しいものはなかった、「ゲラ」と言われた
→主に演出家のサポート、音響、動画お手伝い、制作、代役を務める
→役作り、芝居の練習の仕方、台本が完成していく様子、役者を支える裏方の方々のこだわりと連携...あげればキリがないほどたくさんの勉強になった
→本番間近で通し稽古に代役で出なければならないことになり、そこでミスなくできたことで初めて認めてもらう
→本番中、舞台上に立つ自分ではなく裏方で支えている自分が好きだと思ってしまった
なぜ役者に憧れたのか?なぜ違和感を感じたのか?
→中学の頃にテレビで見た「がんばった大賞」のNGシーンの楽しそうな感じに憧れたから
→「ゴールデンスランバー」や「鍵泥棒のメソッド」の堺雅人さん、香川照之さんに憧れる
→あんな風に表現ができたらいいな。
→役者になって何がしたかったの?何を得たかったの?
→きっと特に何かがしたかった訳ではない
→欲しかったのは「影響力」と「何者かである証明」と「表現力」
→なぜ?
→感情や自分を押し殺し、求められるものに答えてきた自分には「自分という人間を表現すること」に対して飢えがあるから
→舞台という現実の世界はどうだったのか?
→20代〜60代の役者さんでも、芝居だけで食っている人はほんの一握りだった
→ほとんどの方がアルバイトもしていて、その現実は少し自分をビビらせた
→売れるか売れないかは分からない見通しのない世界
→当然運も絡んでくるし、日の目を確実に浴びれる訳ではない
→何千、何万、何百万人という人が「日の目」を浴びずとも芝居を続けている
→言ってしまえば、演技力だけでも上を見上げればいくらでも上がいた
→そこでNo.1になれるのか?その人たちを相手にして勝てるのか?
→もし頑張ってみて10年後、今と同じ状況だったら?
→今の自分が理想とする生活やライフスタイルは?
→どんな20代、30代を過ごしたいのか?
→経済活動もしっかりでき、家庭も築け、氣軽に友達と遊んだり、余暇時間で極めたいことを極めるライフ
→その中に仕事も含まれていて、仕事ももはや趣味の一つとしてやりたい
→この理想のライフスタイルは、俳優を目指すことで実現できそうか?
→現実的に考えて、できない
→となると、役者を目指すのは今じゃなくていい
→かつ、他の人と同じことをやっていても勝てないし、面白くない
→ではどうするか?
→「経験」と「話題性」と「発信力」と「唯一無二の部分」が必要
→影響力と表現力と何者かである証明を可能にしたのがこのブログ
→舞台上でなくとも、ネット上での表現を可能にした
→文章での表現も自分にとっては表現の一種
→自分のブログがきっかけで人生が変わる人が出てきた
→PV数ももうすぐ月間10万PVとなり、影響力もついてきた
→となると、何が何でも俳優でなくてはいけないというこだわりがなくなってきた
→今の自分に誇れる唯一無二の部分はあるか?何で差別化するか?何で突き抜けるか?
→現時点で自分に自信のある部分は?
- 話を聞く&整理する&悩みをクリアにする
- 人の些細な変化を見逃さない
- 人の氣持ちに共感できる
- 第一印象の良さ&人当たりの良さ
- 子どもに一瞬で好かれる
- 人の強みや良い部分を探し出す
- 教えることが大好き、一緒に成長したい
- 一度こだわったものをとことんこだわる力
- とにかく尽くしたいという氣持ち
- 分析大好き
- 組織やチームに所属する時に、どこに何が足りてなくて、何を補えばいいかを判断する力=俯瞰力
- 好奇心旺盛
- アイディアがたくさん降ってくる
- 感受性豊か&芸術に興味がある
- 声のでかさ。笑
- 自分の人生をネタ作りだと思っている、実験台
→もしできるのであれば、自分の強みは活かして仕事をしたい
→スナックのママとかすげぇ上手くいくだろうなってイメージ湧く。笑
→なんだかんだいつかは教師もやってそう
横浜から沖縄までチャリで移動
→後述のコテージの管理人の就任まで1ヶ月の猶予があった
→このまま演技の勉強や芝居の稽古だけしていても、どうにもならないと思った
→前述の「差別化」や「経験欲しさ」で選んだもの
→安易ではあるが、横浜から沖縄までチャリでいくやつはそういないだろうと
→もともとチャリで日本一周をしたかったのもあった
→かつ、人生の中で最高のネタになるという単純な動機
→結論、最高に楽しかった。笑
→何を得たかと言われれば、不便さの価値、お金の価値、時間の価値、目標設定の大切さなど
→絶対的に帰れる居場所があると、人は何にでも挑戦できるという氣付き
→絶対に嫌われない、何をしようと応援してくれる、自分の大切な存在でいてくれるということ
→チャリ旅の動画や画像を曲に合わせてムービーを作成
→動画編集の楽しさを覚える
→極めたい
→人との思い出をカタチとして残しておけるから
コテージなかどまり管理人
→イノチボンバイエが終わったタイミングで募集を見かける
→沖縄に住み、コテージの管理人業務、管理棟なので家賃なし
→面白そうな「経験」だと思った
→こんな好条件の仕事は、今後自分の元にはやってこないと直感で思った
→憧れの沖縄住みも体験できる
→周りからしたら、一見遠回りで無駄なことに見えるが、本能的に必要だと思った
→これもまたネタ作りの一環という意味が大きい
→Airbnbを用いた民泊戦略
→外国人との英語対応やメッセージのやりとり
→「おもてなし」をめっちゃ喜んでもらえる嬉しさ
→事業として民泊は面白いし、趣味でやれる
→ただし、一箇所の場所に捉われてしまうのは動きっぱなしじゃないと落ち着かない自分にとっては不向き
→時間が限りなくあったので、いろんなことを考えた
→幸せな人生とは?自分とは?成功とは?20代の悩みは?過去の振り返りなど
→だんだんと他人ありきだった自分に「自分」がようやく芽生え始める
→20代の内にスローライフを堪能できたのも不幸中の幸い
→結論、今は忙しい方がよっぽどよくて、ゆっくりは死ぬ3年前でいい
→身体が丈夫な内に忙しさを。まとめ記事はこれ
→初めての一人暮らし
→母や父のありがたみを知る
→母や父も自分が離れたことにより、心なしか優しくなった
→いつも喧嘩していた妹2人とも仲良くなる
→家族や近しい人ほど、適度な距離感が大事
→同様に沖縄に住むのは死ぬ3年前でいい
→会いたい人に会える場所にいることは、自分の中で果てしなく大きな意味を持つ
→最低限関東がベスト
→欲を言うなら生まれ育った横浜が好き
→田舎に住みたいとも思ってたけど、休暇に行くぐらいの頻度でいい
→とにもかくにも「アクセスの良さ」が一番の要
→任期期間中に結婚式とchange発表会で2度帰省
→おばあちゃんが手の感覚がなくなったことによる手術をしていた
→「もうちょっと元氣でいたいから、痛いの我慢して頑張ったんだよ〜」
→何年生きるか分からない人との時間ほど貴重なものはないなと痛感
→できるだけ、顔を出したり、一緒の時間を共有しておきたい
→管理人の任期を終えたら帰ろう
→自分の挑戦や夢も大事だけど、家族や大切な人たちとの時間をないがしろにしてはいけない
日本一周
→ブログコンサルの1人だった女の子とノリと勢いで企画
→キッチンカーで移動販売をしながら日本の魅力を発信する
→相手の子と方向性の違いで断念
→期待させてしまった人や、相手の子にも申し訳ないことをした
→ノリと勢いでやることも大事だが、大事な決断の時はビジョンやすり合わせが必要
横浜に帰省
→このタイミングで就活を始める
→現在までに書類で落ちたのが8社、面接で落ちたのが1社
→剥離骨折で自宅療養
なぜこのタイミングで就活を始めたのか?
→自分の特性上、考慮しなければいけない部分は「腰が重い」「石橋を叩きまくって渡る」というもの
→必要最低限の基本的幸せを満たす必要がある
→経済力、衣食住
→むしろそれが揃っていれば、逆に挑戦ばかりすると感じている
→つまるところ、このタイミングで就職をするのであれば、求めることは以下
- 固定給<これが多分一番欲しい>
- 仕事はもはや余暇活動
- バリバリ仕事ではなく、どれだけ自分の人生を楽しくするかのために仕事をする環境を望んでいる。もちろんそれが自分のためだけでなく、まず自分のため、その次に誰かのため
- 残りの余暇時間を用いて、いろんなことに挑戦
- 残りの余暇時間で大切にしたい人との時間や関係を大切にする
→求めることとは別途、今の自分が欲しいものは?
- 稼げる力
- マネーマネジメント力
- 社会的信用
- 保険や融資、福利厚生などのメリット
- 単純に仕事をしたい
- 社会との程よい関わり
- 働いてみるという経験
- 大学中退者が働くとどうなるかというネタ作り
→本質的に求めているのは?
→人からどう見られるか?を氣にしている
→自分の経歴を説明しようとすると何者なのか分からないから「社会人です」と説明できる「楽」をしようとしている
→かつこのままだと、結婚も理想のライフスタイルも実現できないと思っているから、就職してそれを手に入れようとしている
→果たしてこれは就職することで解決される悩みなのか?
→違う。できないと思い込んでいる。
→今後伸ばしていきたい部分とは?
- 逃げずに逆境や困難を乗り越える力
- 諦めず最後までやり遂げる力
- 何事も本氣で取り組む力
- 周囲の中で揺るぎない自分という存在を証明する力
- 数値や明確な結果を出す力
→就職したとしたら失うものは?
- 時間
- 自由度
→正社員である必要性は?
→ないのかもしれない。
→一番解決すべき分野は「稼ぐ」ということ
→そこが払拭されれば、大体の悩み事が解決する
→だがしかし、自分の人生は「仕事が全てではない」
→このブログ見て、それでも僕が欲しいという方いますか?笑
→いらっしゃれば連絡ください!!!
→早道・近道・抜け道どれも魅力的だが、一番は地道でもある
→たった一度きりの人生、自分で決められるとしたらどうしたいのか
→どんな自分でいたいのか、ありたいのかを考える必要あり
→マンダラチャートに記入
→別途極めたいものごとたちは?
- 表現(ドラム・ピアノなどの音楽含む)
- ブログ運営(100万PV&20万円)
- ライティング(書く仕事も極めたい)
- デザイン(フォトショ&イラレで創造力を)
- HP作成(やっぱり応援をカタチにしたい)
- 動画作成&編集(人生の節目節目で使いたい)
- 写真撮影力(一瞬を切り取るのも大好き)
- バスケ : やはりダンクしたい
- 心理学(自分にもっと客観的な説得力を)
あとがき
ポイントは、その時の感情や嘘をついてた自分すらも、さらけ出すこと。
どんな自分も受け入れて、そこから改善策や願望を書き出すこと。
自分の汚い部分を、自分でクリアにできた時が一番自分に優しくなれるのかも。
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