かぜひぴBLOG

付き合って12日で結婚した話。

かぜとなれ

お前と出逢わなかったら、こんな氣持ちになんかならなかったのに。

 

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『こんな氣持ちになるぐらいなら、お前に出逢わなければよかった』

 

そう感じ始めたのはいつのことだっただろう。

 

薄々勘付いてはいた。

自分の中で、次第に大きくなっていた違和感に。

でも俺は、わざとそれに氣付かないようにしていたんだ。

 

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思い返せば【俳優になりたい】と思い始めたのは、中学生の頃。

 

ふとした時に見かけた「がんばった大賞」で役者の人々がNGを出して楽しそうに笑ってる雰囲氣に憧れたんだ。

 

それからというもの、心の隅にかならずお前はいた。

 

受験の時も。

進学の時も。

就活の時も。

 

でも、お前はなかなか出てくることはできなかった。

 

俺が拒んでたから。

 

もしお前に出逢ってしまったら、間違いなく俺の人生は狂う。

もう二度と「ふつう」な人生を歩むことはできないだろうし、みんなと「違った」道を歩むこととなる。

 

それは正直怖い。

できるなら「平穏」がいい。

みんなと「一緒」がいい。

 

みんなと同じように、就活して、就職して、給料をもらう当たり前の生活がいい。

 

ありきたりな毎日。

平凡で平坦な毎日。

 

それが「ふつう」の道とでも言うのだろうか。それもまた素敵じゃないか。

「ふつう」の何が悪いんだ。それが当たり前じゃないか。

 

そんな氣持ちとは裏腹に、みんなと「違った」道に自ら進もうとする自分もいた。

 

人生一度きり。やるかやらないかでしょ。

「違う」道でもいいじゃん。「違ってる」って面白いぜ。

 

まるで悪魔がささやくかのように、次第にそのささやきは俺を支配していった。

 

自分が急にゲームの主人公になったかのように、急に舵を切って、ゼミの先生にもそれを伝え、大学を辞めると決めて、親に相談する前に書類などを用意した。

 

少しワクワクしていた。

先が見えない道を進むことに。

 

予測できなければ、全く道もない。

自分で作り上げなければいけないし、どんなことがあったとしても後戻りができない。

 

『ちょっと踏み外してみた方が面白いんじゃないか』

 

そうして俺は、閉じ込めてたはずのお前を解放した。

 

でも、その氣持ちが安易だったんだ。

 

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大学を辞めてからの日々は、とにかく行動した日々だった。

 

SNSで役者をやってる人や、劇団や芸能事務所に所属してる人がいないか呼びかけたり、

繋いでもらった人に会いにいったり、直接話を聞いたりして、一つの劇団の稽古に参加した。

 

ふつうに会話してた役者たちが一氣に台本を読む時に変わったことが一番印象に残ってる。

 

その後流れでオーディションも受けた。

 

いきなり自己紹介で、他の役者陣たちが面白かったり・個性的な自己紹介をする中、

自分の自己紹介ときたら、稚拙で個性の”個”の字もないほどの当たり前の自己紹介だった。

 

その後のセリフ読みでも噛みまくった。退場場所も間違えまくった。屈辱的だったし、恥ずかしかった。

 

それでも楽しかった。

 

あの頃憧れていた夢の舞台に、もう既に片足を踏み入れているという実感があった。

 

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その後、知人の紹介で、業界の中では名の知られている演出家のもとで稽古をつけてもらった。

 

稽古は毎回楽しかった。

演技についての勉強にもなったし、自分がいかにいろんなブレーキを抱えているかが稽古の回数を重ねるごとにわかっていった。

 

急に師匠が「7〜9月の稽古はおやすみ」と言い始めて、何事かと聞くと「舞台を演出する忙しさで稽古ができない」とのこと。

 

『俺、暇になっちゃいます。笑』

 

って思い切って言ったおかげで、7月から約3ヶ月間の間、舞台運営に携わることになる。

 

そこからの毎日は、もっと楽しかった。

 

浅野温子さんをはじめとする、実際にテレビに出てる役者さんたちや、劇団のみなさんと一緒に舞台稽古の毎日。

 

代役でセリフを読ませてもらったり、音響を務めさせてもらったり、映像のお手伝いもさせてもらった。

 

一つの作品が出来上がるまでの過程を一緒に共有させてもらった。

 

稽古でも、本公演でも、毎日違う演技を見るのが楽しかったし、何よりも「芝居は生もの」だという名言も聞けた。

 

芝居に嘘は一切なくて、演じるものじゃないと知ったのも財産になった。

その台本に出てくる人の人生を生きる役者さんたちの姿は最高にかっこよかった。

 

最後には熊本での公演も終えて、無事に舞台運営も幕を閉じた。

 

あの頃に、夢にまで見たセリフを間違えて笑う空間も一緒に体験できたし、

まさかこんな短期間でこんな貴重な経験ができるとは思ってもみなかった。

 

ただ、

 

どこかで、その夢にまで見た空間を体験してしまったがために、自分の中の何かに変化が現れていた。

 

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氣が付けば、今は沖縄にいる。

 

舞台が終わってすぐに、タイミングよく「沖縄の家賃無料の別棟に住みながら、コテーの管理人してくれる人募集中!」の投稿に喰らいついたからだ。

 

この上なく「今しかできないこと」だと思った。

 

この経験がゆくゆくは自分の糧になると思ったし、「素敵な経験をした人が素敵なお芝居ができるのさ」といった温子さんの言葉が残っていたからだ。

 

沖縄に向かうまでは自転車で19日間かけて移動し、不便さを追求した。

 

道中、いろんな人に支えられ、助けられ、きっと二度と経験できないような貴重な時間を過ごした。

 

毎日その出来事や出逢い、感じたことなどをこのブログに書き綴っていた。

 

今では140記事を超える資産が溜まるこのブログにも、毎月30,000人を超える人が見にきてくれている。

 

中には、

 

「勇氣をもらいました」

「人生変わりました」

「一歩踏み出してみます」

 

という人もいて、そんな連絡をもらうたびに、発信していてよかったなと心から思う。

 

そこで俺は氣付いてしまった。

 

『一体俺は役者になって何がしたかったんだ?』

 

という問いに。

 

それは、

 

自分がこれまで散々閉じ込めてきたお前を、解放してやることで、同じ境遇の人たちに勇氣を与えることだったんだと。

 

あの時の自分には「舞台に立ってそれを伝える」「テレビに出て売れて伝える」ことがしか思い浮かばなかった。

 

今はどうだ。

 

立つ舞台は違えど、それができてしまっている。

 

結局のところ、それが舞台であれ、テレビであれ、このブログであれ。

場所が違えども、自分の目的は達成できるということを知ってしまった。

 

知りたくなかった。

 

それに氣付いてしまった以上、今後舞台役者やメディア露出をしていくかどうかがはっきりと分からなくなってしまった。

 

残酷だよ。

 

お前を解放して、がむしゃらに進んできたってのに、それによって方針が丸々変わっちまうだなんて。

 

お前が憎い。

けど、感謝してる。

知れてよかった。

 

きっとお前にちゃんと

 

向き合っていなかったら

出逢っていなかったら

解放していなかったら

 

氣付けなかったことだしな。

 

俺にとってのこのブログは、役者のように全身や声を使って表現するものではないとても、文章に想いを載せて届ける表現なんだ。

 

あぁ。そうか。

俺は表現や想いを届ける場所が欲しかっただけだったんだな。

 

舞台やメディアの方が、影響力の範囲が広いと思ってた。

より多くの人に、自分の想いや経験が届けばいいと思ってた。

 

でも、ブログもだてにならない。

今、この世界中の人から読まれる未知なる可能性を秘めてる。

 

それに今は多くを望んでない。

 

このブログを通して、1人でもだれかの人生を変えることができるのならば、こんなにも素晴らしいことはない。 

 

それにしても『やりたいこと』だなんて大層な名前しやがって。

 

生意氣なんだよ。

 

嘘。

 

ずっと片隅にでもい続けてくれてありがとう。