かぜひぴBLOG

付き合って12日で結婚した話。

かぜとなれ

自分のしあわせは自分で定める。他のだれかが決めたものではない。

 

最近どうやらドメイン設定がバグってたらしく、気付いたらアクセス数が0になってて血眼になって戻した当ブログ。笑

 

約1年ぶりぐらいに記事を書くのだけど、やっぱりここに記すのは自分のことで、あくまで自分に向けて。でも、読みに来た人の心の片隅にでも残るような文章が書けたらいいなと思って綴ります。

 

p.s.

リコリルリコイルep8と9、ハガレンの最後の方の重要ネタバレ入ってるので、そこだけ何卒ご了承をば。

 

 

なんで急にブログ書こうかなってなったかって、さっき見てたリコリスリコイルでこんなシーンがあったんですよ。

 

 

「人生の意味を探す必要はありませんね」

『そうだ、幸福なことだ』

 

これはリコリコのEP8の吉松さんと姫蒲さんのやりとりで、才能は神からのギフトでその人の役割はもう選べないもので決まってるって時にするやりとり。

 

これには後で反論します。笑

 

その後主人公の千束とたきなが釣りをしてる時に釣れなくて言うセリフが以下で。

 

 

「釣れませんね」

『釣れないね』

「楽しいですか?」

『フフッ 楽しいよ。たきなといればさ』

 

何気ない一瞬だけど、きっと幸せとかの本質ってこういう時にぼくはあると思うんですよね。何をするかじゃなくて、誰といるか。

 

そのまたさらに後の二人のやりとりが以下。

 

 

「理不尽なことばかりです。そうは思いませんか?」

『自分でどうにもならないことで悩んでもしょうがない。受け入れて全力!だいたいそれでいいことが起こるんだ。』

 

生きてりゃほんと理不尽なことばっかりだなって思うんです。笑 でも、その理不尽を嘆いてても仕方ないから、受け入れて全力ってのすっごい共感できたんですよね。過ぎた時間は戻ってこないし。

 

あとはハガレンの最後の方の以下シーン。

 

 

「仲間ってのは魂でつながってるんだよ!忘れるわけないだろうが!」

「仲間にならねえか?行くとこないなら一緒にこいよ」

『ったくリンもチビもずいぶんナメた態度とってくれたもんだ。十分だ...ああ、もう十分だ。もうなんもいらねえや。ハッハハハッ...じゃあな、魂の友よ。』

 

ホムンクルスグリードの最期の時の回想シーン。グリード大好きファンの人だったら絶対知ってるシーン。ずっと生まれてこのかた渇かなかった心の渇きが最期は仲間の存在で満たされるっていうシーン。大好き。

 

あとこれも。

 

 

「弟を連れ戻しに来たか。だが、どうやって人間1人を引っ張り出す?代価は?お前の肉体を差し出すか?」

 

 

『ヘッ、代価ならここにあるだろ。でけえのがよ!』

 

 

『こいつはオレの真理の扉だ。ってこたあ、どう使おうがオレの自由だ。違うか?』

 

 

「プッヒッヒッヒッ、そう来たか...ハハハハハッしかしいいのか?真理の扉を失えば、二度と錬金術を使えなくなるぞ」

 

 

『そうだな。確かにこの扉の向こうには錬金術のすべてがある。でも、おかげで踊らされたよ。真理といかいうものを見せられて、錬金術ですべてを解決できると思い込んだ。』

『だけどそれは間違いだった。ただの傲慢だ。』

 

 

「錬金術の使えないただの人間に成り下がるのか?」

『成り下がるも何も、最初っからただの人間だ。キメラにされた女の子1人助けられないちっぽけな人間だ。』

 

 

「いいんだな?本当にそれがなくても」

 

 

『錬金術がなくてもみんながいるって!』

 

いろんなエピソードがある中で、最期にこれを持ってくるってめっちゃ最高じゃないっすか?ぼくだけっすか?ここにめちゃんこ感動したの。笑

 

なんでもできる錬金術よりも、みんながいる!って!!!最高にエモい氣持ちになったのおれだけっすか!?笑

 

だいたい僕の中で何かスイッチ入る時は漫画とかアニメなもんだから、ほんとに漫画とかアニメを描いて世の中に送り出してる方々には頭が上がらないです。笑

 

何が言いたいかって、結論から言うと生きていく上で本当に大切なものって僕にとっては

 

  • 何氣ない日常
  • かけがえのない友人や家族

 

これを上回るものなんて存在しないし、何より生きていく意味とか人生の意味とかもそんな大層なものを考える必要なんてきっとなくて、今の自分の周りに落っこちてる些細な幸せとか一緒にいてくれる人との時間こそがぼくにとっての生きる理由だし、人生の意味じゃんってアニメ見ながら再確認してました。

 

 

よく道徳の時間で幸せの定義がどうとか、なりたい職業を考えましょうみたいな授業あるけど、そんなことよりもまずやっぱり家族とか、一緒にいてくれる友達との時間ってほんと尊くてかけがえのないものだと思うんですよ。

 

 

今のぼくって、朝は1歳半越えたいおりくんか、もうすぐ4歳のまつりに起こされて、朝ごはん用意して、食べさせて保育園に送って帰ってきてから家事やら仕事やら何やらして。

 

空き時間ができたらアニメ見るか、ゲームするか。笑

「なんかしなきゃ!!」とはあんまり思わないし、「生きてるからには生きた証を残すべく尽力して!!!」ともならなくて。笑

 

 

お迎えに行く前に夜ごはんの材料買い出ししに行って、「これ安い!」とか「これ作ってみるか!」って買い物にウキウキして、シェアハウス住人4人分+うちの家族4人分の計8人分の夜ごはんをこしらえて。

 

お迎え行って、扉開けると満面の笑みで走ってしがみついてくる我が子ふたり。今日は何したのか自慢げに話してくれるまつり。帰り道はずっと歌うたおうとしてるいおりくん。

 

 

帰ってきたら腕をふるって作った自慢のご飯を「美味しい美味しい!」って食べてくれる息子たちにゆうき、そしてシェアハウスの住人たち。

 

食べ終わったら片付けて、お風呂にみんなで入って、寝かしつけした後一緒に眠らずに起きてられたら大人の時間!笑

 

 

住人さんたちと語らうもよし、映画とかアニメを見るもよし、晩酌しながら酒を飲むもよし、恋バナするもよし、麻雀とかポーカーするもよし、、、

 

そして今日も楽しい1日だったなぁ...って眠りにつく。

 

幸せなことこの上ない。なーんもいらない。これ以上欲しいものなんてない。だってもう全部あるんだもん!

 

きっとやっぱりこの今の世の中を生きていくのに必要なのって、嫌なこととか理不尽なこととかもたくさんあるけど、それ以上にいかに自分にあるものを認識できるかだと思うんです。

 

 

どれだけ、自分のこと、自分の生き方、何氣ない日常、関わってくれる友人や家族を大好きでいられるかだと思うんです。

 

裏を返せばこれができるのは恵まれてる証でもあるのかもしれないですね。衣食住何一つ不自由することなく育ててくれた両親には感謝しかないし、今のこの自分を作ってくれた人たちや環境にも感謝しかないし、万人にこの考え方が共通するとはもちろん言わないのだけど。

 

それでもないものねだりするよりかは絶対に幸せだと思うんですよね。だって、たくさん持ってるんだもん。

 

もちろん人によっては世界を変える!とか、社会変革のリーダーに!とか、歴史に名を残すために偉業を!!って人もいるとは思うんですけど、そういう人たちと比べはしない。

 

自分は自分のしあわせを追求する。

自分にとってのしあわせは何かを徹底的に考えて、それに向かって突き進む。

 

これが真理だと思います。

もちろんこの真理が人によっては違うけど、違うからって攻撃したりはしない。

 

交わらないけど、そういう真理もあるのねって受け入れる。でも自分の真理は曲げない。

 

自分の真理と違うからって曲げようとしたり、無理に一緒にしようとしない。別物としてしっかり区切って生きていく。

 

それが上手に生きるってことだと思います。

 

毎回最後の方になってくるとなんて締めくくったらいいか分からなくなってくるんですけど、今回は締めの言葉ちゃんと用意してました。笑

 

昔、自分も歴史に名を残す!ってやりたいことリストに書いてたんですよw でも今となっちゃそんな必要はないなぁって思ってて。

 

歴史に名を残さずとも、誰かの記憶の片隅に残れるような存在でいられたかって最近すごい氣にしてます。

 

別にそれがぜーんぜん知らない人にもかって言われると違うんだけど、今の自分の周りにいてくれている人たちには特にそう。

 

尽くす!厳しいこと言わなきゃな時はちゃんと伝える!とかく自分のうめぇ飯をたーんと食ってもらう!笑 別に特に見返りなんかいらない!それをしてる自分が好きだから笑

 

自分が壊れない程度に何かしてあげられる自分を自分で褒める!これ最強のナルシスト!!!笑 エコ!!!笑 

 

みんな自分で自分を褒められるナルシストになったらほんと世界は平和になると思ってます笑

 

お後がよろしいようで!!!

 

〜fin〜