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付き合って12日で結婚した話。

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【人生山あり谷あり】悩んだって立ち止まったっていいじゃないか

 

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「最近無氣力でやる氣が出ない」

 

そんな現状を打破したい思いはある。

でも、なんでか思うように体も心も言うことをきかない。

 

いっそのこと、全部放り投げて楽になれたらどれだけいいだろうか。

 

 

人生山あり谷あり : 頑張りたくても頑張れない

横浜から沖縄まで自転車で到着してから、あっという間に1ヶ月半の月日が経った。

 

やらなければならないことはたくさんあって、そのどれもが確かに一つ一つごとに見ると作業のようで面白くなく、つまらないものなのかもしれない。

 

そんな時に限って、意志が強くない自分は、決まって寄り道をしたり、逃げ道を作ったりする。

 

ゲーム実況を見たり・ゲームをしたり、懐かしい映画やドラマを見返したりして、とにかくその現状に目を向けなくていいようにしたりする。

 

もちろんそうしている内は、楽だし、解放感があって氣持ちがいい。でも、後々になってそのせいで自分の首を絞めることになるのは分かり切っている。

 

でもやめられない。

まるでそれは麻薬のような中毒性があって、一度そらしてしまうと戻ることすらめんどくさくなってしまう。

 

めんどくさい。

 全てがめんどくさくなって、いっそのこと何もかも全部投げ出して、どこかへ行ってしまいたくなるほどに。

 

でも、決まってそうしてしまったことで一番苦しい思いをするのは自分だ。

 投げ出して放棄して、逃げ出した自分に対する咎めの氣持ちがこれでもかと言わんばかりに溢れ出してくる。

 

お前は投げ出して、逃げ出したんだ

 

自分の中で、その負の塊が増幅しては、やまびこのように反響していって、どうにもこうにもいられなくなっておかしくなってしまう。

 

結果無氣力となって、無氣力である自分にまた不甲斐なさを覚えて、現状を変えようと努力するんだけど、氣持ちと体が追いつかなくて何もできなくての繰り返し。

 

頑張りたくても頑張れない。そんな状態に陥ることがよくある。

 

そんな時に、いろいろと原因を考えてみるんだ。どうしてこうなったのか、元に戻るにはどうすればいいのか。

 

でも、それを考えてもパワーや勢いのなくなってしまっている自分にそれが到底思いつくはずもなく、泥沼にどんどんはまっていく。

 

そこで「これはもしや?」と、ふと氣が付いたことがあった。

 

そういえば、沖縄に来てからずっと家に篭もりっぱなしで、外に出てなければ人とも話してないな

 

それに氣が付いた時に、これまでの経験がなぜか走馬灯のように蘇った。

 

人生山あり谷あり : いつも周りの人からかけられていた言葉

はやてさんって、明るくていつも笑ってますよね!

第一印象が良くて、こどもに好かれるもんね〜

潤滑油っていうか、組織にお前みたいなのが1人でもいると助かるよ

 

と、いろんな人からいろんな期待をもらっては、それに応えようと必死だった自分。

 

結局、それに応えられない自分を垣間見てしまうと、途端に嫌氣がさして、逃げ出すようにその場からいなくなってきた自分。

 

横浜にいた頃は、たくさん所属しているコミュニティーがあって、その中での自分を見出していたものの、どこかそれに疲れて1人になること選んだ。

 

就職という道を選ばなかったのには、きっとそれも起因している。

「1人で生きる」

そんな傲慢で、わがままで、馬鹿らしい氣持ちを抱えていた自分がそこにはいた。

 

いざ、実家を出て、ほんとうにコミュニティーからは一歩距離を置いた場所で生活し始めると、驚くほどに氣持ちがよかった。

 

実家にいた時のように、とやかくああしろこうしろとは言われない。 

組織に属していた時のように、人間関係の衝突もなければ、自分の作業や仕事に対して、いちゃもんをつけたり、ケツを叩いてくれる人もいない。

 

確かにそこに自由はあった。

でもそれは、至極当たり前のことのように、ずっとは長く続かず、一瞬の解放感だった。

 

人生山あり谷あり : 物足りなくなってしまった 

どこか物足りない

 

今では、そう思い始めている。

 

確かに、人間関係の摩擦や衝突ほどめんどうなものはないし、氣が滅入るものもない。でも、それがないとないで少しさみしい。

 

組織での縛りもそうだ。個人で動く際は、自分の裁量ですべてを進められるが、できることと範囲とスピードには限度がある。だが、組織で動くからこそできることもある。

 

なんてあまのじゃくなんだ

 

そう思った。

忙しい時ほど暇を求めるくせに、暇になったら暇になったで忙しさが恋しくなる。

 

人間関係の摩擦や衝突がめんどうになって、1人で自由になったのにもかかわらず、1人になったらなったで、1人であることにさみしさを覚える。

 

悩みや壁がなくなればいいのにと思うくせに、なくなったらなくなったでまた少し悩みや壁などの逆境が欲しくなる。

 

わがままで贅沢だ。 

でも、それがいたって健康的で普通なのかもしれない。どちらも必要で、どちらかに寄りすぎるとバランスが悪くなる。

 

程よさなんてものがしっくりくるというか、それこそ程よいバランスでどちらもあった方がいいスパイスになるんだろう。

 

偏りすぎたら調節すればいい。ずっと程よさを保つことは難しいだろうけど、いきすぎたらその都度調節すればいい。

 

そうやってずっと試行錯誤を重ねていくものなのだろう。

 

 人生山あり谷ありの真のメッセージ

「人生山あり谷あり」

 

なんていうのも、きっと同じ原理なんだろう。

 

進むのが楽な山頂がずっと続けば、それはそれで飽きるだろうし、ずっと過酷な谷底が続くとなれば、それはそれで氣が滅入る。

 

山道を登る道があるからこそ山頂は氣持ちがいいんだろうし、どんどんと下がっていく道の先にあるどん底も、山頂の氣持ち良さを知ってるが故に、辛く過酷なものになる。

 

その時その時の一瞬の感情や氣持ち、辛さや嬉しさなんかはずっと永久的に続くものではないことは確かだし、自分では考えられないほどに長い期間で見つめてみると、ほんのちっぽけな一瞬だったりする。

 

今、過去にめちゃくちゃ辛くて悩んだことが何個も思い出せないように、この瞬間に悩んでることなんて、未来の自分からしてみればちっぽけなことの一つ。

 

悩もうが、立ち止まろうが、全てを投げ出そうとしようが、生きていれさえすれば、その全てが未来の糧になる。

 

山と谷が交互にくるからこそ楽しいんだし、谷の時は楽しくなくて当たり前だ。

 

そう考えてみると、今の無氣力感は不思議と少し楽になった。よくあることだ。これまでも、これからも。

 

人生山あり谷あり : 意外と順調だったりするんだ 

順調だ

 

そう、自分の中の自分がまんざらでもなく言っているような氣がしてきた。

 

立ち止まる時は、立ち止まるべくして立ち止まったんだきっと。今は、悩んだり、立ち止まるべき何かが存在したんだ。

 

それが何かを考えた時に、それは「ヒト」だと思った。

 

もちろん、1人でも生きていけないことはない。でも、どこかそれにはさみしさが募るものだということがわかった。

 

たとえ喧嘩しようとも、仲間割れしようとも、意見の衝突をしようとも、全然反りの合わない人がいようとも、そのどれもが1人では味わえない2人以上だからこそ感じる宝ものなんだな。

 

そう思えば、今ではそれらが愛おしく思えたりもする。きっと、ないものねだりなんだろうけど。

 

どうやら自分の人生には、どんなカタチであれ「ヒト」と関わることは必要不可欠らしい。

 

当たり前のようなことで、実は心から腑に落ちるには、今の環境や生き方をしていないと氣が付けなかったことなのかもしれない。

 

そう思えば、この悩みも無氣力感も立派な意味があった。その時間は無駄じゃなかった。

 

もう大丈夫

 

そんな風になぜか自信に満ちている自分がいるのは、自分がこうなった時に電話して話を聞いてくれる人たちがいたからだ。

 

1人で生きてる訳じゃないんだ。人に感情があったり、共感できるのはきっとこういう時のためにあるものなんだ。

 

いつか、この悩みや立ち止まったことが役に立つ日がくる時のために、自分なりにがむしゃらにもがけばいいんだ。

 

それがきっと自分の人生のスパイスになるし、同じ悩みや境遇に陥った人の助けにもなるから。

 

悩んだって、立ち止まったっていいじゃないか。きっと人生なんてそんなことの連続なんだから。

 

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