かぜひぴBLOG

付き合って12日で結婚した話。

かぜとなれ

【金が全てじゃない】と豪語してた自分が変わった5つのキッカケと2つのメッセージ

 

1年前、学生だった自分と、ここ最近まで、まるで取り憑かれていたかのように言っていた言葉。

 

「金が全てじゃない」

 

お金よりも大切なことがあるって豪語してた自分が、一番お金に固執していたと言っても過言ではない。

 

でも、今となってはそうじゃないことを、過去の自分に分かりやすく教えてあげられるようになった。

「世の中金だ」とまでは言い切らないけど、まずはこの名言から届けていこうと思う。

 

金が全てじゃねぇが、全てに金が必要だ

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これは漫画、闇金ウシジマくんの中で言い放たれる名言の内の一つ。

できることならば、もっと早くに教えてあげたかったなとすらも思う。

 

もちろん金が全てとは言い切らない。

ただ、この1年間で痛いほどに痛感したのは「全てに金が必要だ」ってことだった。

 

こう言われただけじゃ実感が湧かないだろうから、具体的な事例ベースで事実を残していこうと思う。

 

この1年間、ぼくは扶養内でぬくぬくとしていた

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今となっては強烈なコンプレックスとして自分の経歴に残ったこの1年間のお金事情。

経歴がコンプレックスなのではなく、この1年間のお金に対する向き合い方が今後忘れられないものとなる。

 

1年前、大学を中退し、国民年金保険に入るかどうか迷ったあげく、父親の健康保険の扶養内に踏みとどまった。

 

それはつまり、年間103万円を超える稼ぎを出さないと決めたのと同意。

要するに、自分でその範囲内で過ごすと決めたし、それ以上の欲は張らないというのも決めた。

 

社会人からしてみれば、何と情けないことだって思われても仕方がないし、

23歳という、いい年こいて親の世話になってる自分に少し負い目も感じていた。

 

ここまで来たらとことん稼がない生活をしてみようと思ったし、

「金が全てじゃない」と言える生活や状態を極めて、本当にそうなのかを確かめてみようとした1年でもあった。

 

実際に金が全てじゃない生活はどんな感じだったのか

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4月〜9月は俳優活動をしていて、毎日の舞台稽古でほぼバイトもできず、稼ぎもほぼなかった。

もちろん基本家の残り物を持って行ったり、家にある水をペットボトルや水筒に詰めた。

 

横浜の実家から都内の奥の方まで毎日通っていたので、交通費だけでも出費はかさんだ。

いうなれば、生活費以外に使えるお金なんてほぼなかったし、バイトするかこのブログ記事を書くかぐらいだった。

 

ないお金を絞って、ブログサロンの月謝にあてたり、友達とのイベントや交際費にあてたり

演劇を観に行ったり、会いたいと言ってくれる人に会うためのお金として使う以外は、全部我慢した。

 

 

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沖縄に行くまでも必要最小限で済んだのは、余裕のある人たちのおかげだった。

泊めてくださったり、餞別をくださったり、ご飯をご馳走してくださったり。

 

19日間でたったの4万円で旅ができたのは、紛れもなくその人たちのおかげだ。

今でもその感謝は忘れていないし、今後どうやって返していこうかとずっと考えてる。

 

それでも、何か言葉に表せないほどの形にして返そうとなると余裕がないのも事実。

もちろんお金を使わないで返せるお返しがあったとしても、あればできることも違う。

 

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沖縄での生活も母がお米を送ってくれたり、何かと仕送りをしてくれて成り立っていた部分があった。

会いたい時に会える人もいなかったし、移動手段も自転車だったから交際費も交通費もかからなかった。

 

コテージ横の管理棟に無料で済ませてもらう代わりに管理人業務を請け負っていたのもあり

家賃も光熱費も水道代もかかっていなかったのもあって、毎月2万円程度の生活費で済んだ。

 

必要最低限しか求めない暮らし。

それ以上は何も追い求めず、稼ぐために時間を費やすのではなく、その他のことに時間を費やした。

 

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使えるお金に決まりはあったけど、時間はこれでもかってぐらい無限にあったから

その期間で、SEOをはじめ、デザインや画像編集や動画編集など、欲しいスキルは全部独学で極めていった。

 

インターネット場に転がっているたくさんの情報を一つずつ実践しては

「できない」を実感して、できるようになるまでひたすら改善する地味な作業を繰り返した。

 

もちろん先行投資として人にお金を支払って教えてもらった方が圧倒的に早いということも分かっていた。

だから、1年間で色々と自分の身に定着したスキル達は「時間を犠牲にして」得たものだった。

 

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横浜に帰ってきてからも自分の収入はそこまで跳ね上がった訳じゃなかったから

こっちでの生活費や交通費、会いたいと伝えてくれる人に会いにいくのにそれなりのお金が必要だった。

 

ただ、全部を得ようとしても得られる訳じゃなく、どこかで制限したり、削らなければいけなかった。

中でも社会人1年目を終えて2年目になる友人たちは、比較的余裕があることも身に沁みた。

 

もちろん時間的余裕がないかもしれないけど、今の自分にとっては経済的余裕が

いかに魅力的に見えただろう。えもいわれぬもどかしさに包まれていたのが真実だった。

 

自然と精神的豊かさに加えて、物質的豊かさを求める自分になってきたことにも氣付いた。

 

なぜ金が全てじゃないと言っていたのか 

お金の話を年上の方に相談した時に、頂いたアドバイスをそっくりそのまま残しておく。

おそらく「金が全てじゃない」と言い切る人には、以下のどれかに当てはまる特徴があるはず。

 

  1. お金がなくてもいいやと思っているのか
  2. お金が無いとどうなるのか模索中なのか
  3. お金がない自分を見出したいのか
  4. お金がなくてもいいと言っている自分が好きなのか
  5. ただお金を否定することが最先端だと思っているのか

 

自分の場合は、どれも当てはまっていたように思える。

もう一つ付け加えるとするならば、比較的「精神的豊かさが満たされていた」といっても過言ではない。

 

ぼくは昔から物欲はほぼない方だった。

流行りのものを欲しがらないし、服も欲しがらなければ、必要最低限のものしかねだらなかった。

しいて言うなら大好きなゲームぐらいしか欲しい!と、ねだったことはなかっただろう。

 

それがなぜなのか?と考えた時に、今ならその理由がよく分かる。

 

それはきっと、

 

  • 両親、4人の弟妹、親族が全員生きていて
  • 困らない水準の生活を両親が用意してくれていて
  • 愛をしっかり貰って
  • 友人や後輩、先輩に恵まれて
  • 人間関係が比較的良好で
  • 目の前にはいつも何かしら打ち込めることがあって
  • 生きてるだけでOKって存在を絶対認めてくれる人がいて
  • 喜怒哀楽を共有できる存在がいて...

 

って、あげればキリがないけど、関わる人や環境に恵まれてたからだって氣付いた。

それに加えて、些細なことにも「幸せを感じる能力」に長けてたんだ。

 

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言ってしまえば、周りから見ると、ただの平和ボケした野郎に見えてたんじゃないかな。

 

  • ご飯がうまいわぁ
  • 空が青くて天氣がいいなぁ
  • 猫可愛いわぁ
  • 布団あったかいわぁ
  • ありがとうって言われた
  • 綺麗な花が咲いてる
  • めっちゃ面白くて笑いが止まらない時

 

とか。

日常が日常であって、どんなことも当たり前のようにやってきてくれることが幸せで。

そうやって幸せを感じられる心でいられたからこそ、金が全てじゃないって言ってたのもあると思う。

 

「全てに金が必要だ」と思うようになった5つのキッカケ

その考え方が自然とここ最近で、いろんなことが重なってごっそりと変化した。

まるでこの1年間の「金が全てじゃない」と意固地になって主張し続けてきたことが功を奏したかのように。

 

思えば、23年間お金というものに対して良くないイメージを抱え続けてきた自分が

生まれ変わるために必要だったと言えるような今後にしていくために、

全てに金が必要だと思うようになったキッカケをここに残しておく。

 

1. もしも健康じゃなくなったら?生活できなくなったら?

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最近久しぶりに靭帯損傷&剥離骨折で動けない身体になったし、治療費も中々かかった。

「金が全てじゃない」と言えるのは、きっと健康な身体を持っているからなんだ。

 

こうして動けない身体になってしまった時にこそ、

ある程度カバーできることとできないことで分かれてくるし、お金が必要となってくる。

 

もちろん前々から言われていたことではあったのだが、その頃は実感がなかった。

実感が湧くようになったのは、健康を自分でちょこちょこと意識し始めてからで。

 

以外と身近な人が糖尿病だったり、大病をやらかした時にかかる費用を計算したり

自分で色々と調べて、その現実を目の当たりにしてからは価値観が一氣に変わった。

 

健康じゃなくなった時、生きるために治療が必要となった時

よっぽどへんてこな治療法でない限り、お金は必ず必要なものとなるんだって。

 

そしてこれは自分の身だけに起こるようなことじゃない。

自分の大切な家族や友達の身にも起こるかもしれない。それは紛れもない事実。

 

自分に子どもや愛する人ができて、その人が窮地に追い込まれたとしたら?

膨大な治療費と時間が必要だとしたら?言わずともその答えはきっと分かるはず。

 

今となってはよく言われていた「護れる人になれ」ということが実感として分かる。

 

2. お金の価値を身をもって体感した

きっとお金の価値をよく知らなかったというのも「お金が全てじゃない」と豪語してた理由の一つ。

これまでは、何かを買う時に、短期的な目線や自分のお財布との相談で高いか低いかを判断していた。

 

ただ、これがはっきり言って大いに間違っていた部分だと今なら分かる。

その一番のキッカケとなったのが、チャリで横浜から沖縄まで移動した経験だ。

 

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  • かかった日数が19日間だったこと
  • 総費用は約4万円だったこと

 

この事実と、これまでの移動手段を比べた時に、お金を使う理由がよーく分かった。

 

  • 飛行機なら沖縄まで約3時間
  • 費用にしてLCCを使えば往復最安値6千円

 

わざわざ自転車で行ったおかげで、改めて交通機関のありがたみを感じた。

と同時に、今まで「高い」と思っていた飛行機代が「安い」と思えるようになった。

 

飛行機で行けば、自転車で行った時よりも多い約18日間の「時間」が手に入る。

 

仮にこの18日間を時給1,000円の1日8時間労働のアルバイトをしたと考えれば、

8,000 × 18 = 144,000円ものお金が手に入ることになる。これは非常に大きい。

 

もちろんチャリ旅でしか得られなかった経験もあるから、ここは実質比べられないのだが

お金を使うとはどういうことなのかが、しっかりと実体験ベースで分かった大切な経験だった。

 

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最近大好きで買った「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」でも同じことを経験した。

時のオカリナやムジュラの仮面とは別の、斬新かつ最高傑作で、非常に満足した。

 

そして価格が7,000円であることに「安過ぎる」と思ったくらいだ。

 

きっと今までなら高過ぎると思ったに違いないのだが、こんな風に考えてみた。

時給1,000円だとして、たったの7時間でこのクオリティーを再現できるのだろうかと。

 

グラフィックを始め、ストーリー構成や、キャラクターの完成度、フィールドの圧倒的広さ...

あげればキリがないが、もちろん答えはNO。創り手のことを考えた時に、何ならもっと払いたいとすら思った。

  

3. お金があればできることが増える

ないならないなりに色んなことを突き詰めることができる。

ただ、一方であればできることが増えるというのも、また真理。

 

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  • 美味しいご飯を食べたり
  • 母の日や父の日、誰かの誕生日でプレゼントを用意したり
  • 旅行やイベントで財布の紐を氣にせずに散財したり
  • 自分の欲しい経験や知識を積むための投資資金にしたり
  • 自分が会いたい人に会うための時間と交際費にしたり
  • 会いたいと行ってくれる人に心置きなく会ってあげられたり
  • お世話になった人に今度はこちらからご馳走したり
  • 震災や何か不幸があった時にこっそり支援できたり

 

挙げればキリがないが、お金があるとできることは増える。

それは自分がどんな人間でいたいかや、どんな生活がしたいかによって決まるもの。

 

お金が全てじゃない生活をとことんやってみて、自分にはお金が必要だと思えたし

あった方が自分の求める自分でいられたり、生活ができると思えたのがよかった。

 

4. 自分だけが金が全てじゃない生活をしても周りは何も変わらない

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仮に自分が例えば自給自足や、全くお金のかからない生活を実現できたとしよう。

でも、周りは何も変わってないし、世の中からお金が必要なくなった訳でもない。

 

何なら同じ生活をしようよ!と声をかけたとしても、変わる人は限られている。

むしろ大多数は変わらないし、変えられない。それが少し寂しく思ったんだ。

 

もちろん自分がどうしたいか、どんな交友関係を持っていたいかに寄るんだけど

ぼくの場合は、お金が必要とされる世界からの離脱や、その世界で生きる人との関係を切ることはできると思えなかった。

 

5. 本当に応援したい人を氣兼ねなく応援できる

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去年度、ぼくがないお金を絞ってまで行っていたのがクラウドファンディング。

クラウドファンディングの説明は割愛するが、簡単に言えば「応援」と同じだ。

 

自分の周りの人が「これをするから手伝って欲しい!」「支援して欲しい!」という時

見かけて純粋に応援したいと思った時には、少額ではあったが心からの応援を込めて支援した。

 

もちろん言葉だけの応援や、記事のシェア、周りへの声かけなんてのも応援に入るけど

ぼくの場合は、想いだけじゃないカタチとしての支援がしたかったということに尽きる。

 

きっとこれからも、色んな挑戦をする人が友達や知り合いの人に出てくるだろう。

中には「カフェを創る」とか「村を創る」とか「起業する」とか、資金が必要な挑戦もある。

 

そんな時に、自分の生活や護るものを護れた上で「頑張れ!!!」って応援したい。

「お金がないから応援しかできないけど」って言わない自分になりたいなって思った。

 

そして今後、どうお金と向き合っていくか 

きっと人によってお金に対する捉え方も考え方も価値観もこぞって違う。

コンプレックスだと感じている人もいれば、良いイメージを持てている人もいる。

 

ぼくの場合は23年間、ほぼずっと「お金」に対する偏見があったから今後もリハビリは必要。

しっかりと勉強して、また振り返って、というのを繰り返していかなければいけない。

 

お金が必要だと思えるようになった今だからこそ、新たに向き合うべきことがある。

 

まずは稼げるようになれ

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言ってしまえば、この23年間で103万円を超える稼ぎを出したことがない。

その状態で金が全てじゃないとはよく言えたものだと、少し前の自分のことを恥ずかしく思う。

 

きっと同い年の世代のオーソドックスに給料をもらっている人たちは

250万〜300万ほどは給料としていただいていることだろう。

 

まずはそこを目標として、その境地にたどり着いた時に、見えたものや感じること

今の考えと変わることなどをまた客観的に振り返りながら向き合い続けていく。

 

きっと順序としては

 

  1. お金を稼げるための自己投資<何を犠牲にするのか・何を武器にするのか>
  2. 投資した自分で実際に稼ぐ<投資の実践>
  3. さらに試行錯誤をかさねる<競合との比較や効率化>
  4. 稼げるようになってきた余剰分をお金に働いてもらう<稼ぐこと自体のシフト>

 

という順序になるのだろう。

だから今は犠牲のフェーズ。何かを得るには何かを捨てることと一緒なのだから、

ひたすら<時間と自由>を犠牲にしつつ、近道しようとせずに、がむしゃらに自己投資をしていこう。

 

何にお金を使い、何に使わないのかを見定めること

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きっと稼がなくても、稼いだとしても自分が何にお金を使うのかを見極めることが大事な氣がする。

要するにどんなことやモノにお金を使い、どんな時間を過ごし、どんな経験を積むのか。

 

自分がお金を使いたい場面があったとして、本当に必要なのか、そうでないかの見極め。

もし必要で、使える範囲のお金を超えている場合は、他のどの部分を削ったりするのか。

足りない場合はどうやって補うのか。その繰り返しなんだろうな。

 

あとがき

まだまだ答えの出ない自分の中での「お金」に対する問い。

生涯関わっていくものなんだから、もっと勉強しなくちゃだし、汚いものとしてではなく関わらなくちゃ。

 

きっとそれが心から理解できて、本質を掴めた時に、金が全てじゃねぇが、全てに金が必要だ

以上の伝えられるメッセージになるんだと思う。

 

 

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