沖縄移住ブロガーの疾風(@hayate_cwrkh5)です。
僕は先月10月10日に横浜を出発し、19日間と約40,000円の費用をかけて、28日に沖縄に到着しました。
「飛行機使えば、LCCで10,000円もしないし、1日で行けるのに」
ってよく言われたましたし、ごもっともな正論です。
でも、僕は「費用」とか「便利さ」だとか、そんなことを求めてる訳じゃないんですよ。
【めんどくさい】が商材になるこの時代に大切にすべきもの
普通の人からしたらチャリで沖縄まで行くのは「めんどくさいし、やりたくない」
どう考えても、普通の人なら「自転車で横浜から沖縄まで行こう!」なんて思いつきません。笑
そりゃそうですよね。
- 疲れるし
- 時間かかるし
- お金かかるし
- 汗かくし
- お尻痛くなるし
他にも、やりたくない理由なんて挙げれば腐るほど出てくるんだろうと思います。
きっとこれは「自転車で移動する」こと意外のことにもたくさん当てはまると思うんですよね。
それこそ、今流行りの「逃げるは恥だが役に立つ」の「家事代行」なんかも、「料理、掃除などの家事がめんどくさい」から生まれてる訳ですし。
もちろん、
- 家事を任せることで生まれる時間
- 家事を任せることで得られる効率
なんてものを求めてる人もいるだろうし、その「時間」と「効率」で新たなものを生み出すなんてことも可能な訳で。
でも僕は、その「時間」と「効率」には魅力を感じないんですよね。
ましてや、それを「お金」で解決しようとするのも、全然納得できないんです。
だからといって、そういう人たちを「批判する」とかではなくて。それでいい人たちはそれでいいと思うんです。
自分で「やる」「成し遂げる」「作る」ことに楽しさやワクワクがある
僕が沖縄に来てから、何もない台所に作った棚です。
我ながらにいい出来で、自分で作ったから愛着も湧いてます。
沖縄まで自転車で旅をしている道中に出逢った”車で日本一周をしてる人”が沖縄最終日に泊まりに来てくれて、一緒に作り上げました。
コテージに余ってた木材と、買い足した木材と、加工に必要な工具をお借りして自分の力で作り上げました。
ざっと2,000円ほどです。
例えばこれを、業者や製作サービスなんかに依頼したら、こんな値段じゃ収まらないですよね。
費用がどうこうももちろん大事ですが、なにより
自分で作り出すことに楽しさやワクワクがある
ってことなんです。
- 「どんなデザインにしようかな〜?紙に書いて考えてみよう!」
- 「費用を抑えるにはどんな木材を買えばいいのかな?」
- 「木材切るの失敗しちゃった!!でもこの失敗も作る醍醐味だな」
- 「切ったもののサイズがすっぽりはまらないぞ?リメイクだ!」
なんて工程があったりして。
この過程が何よりも面白いし、出来上がった時の達成感とかやり遂げた感がめちゃくちゃあるんですよね。
それだけじゃなく、作った思い出とか体験も宝ものとして記憶に残る。
そして、1人じゃなくて2人で作ってるから、間違ってたらアドバイスし合ったり、こうした方がいいんじゃ?って方針を委ねあったり。
チャリ旅も、沖縄に着いた時は「自分の足で辿り着いた」という実感が、めちゃくちゃありました。
これが「サービス」だった場合、電話するなりWEBで申し込むなりして、出来上がって、「あざす」で終わり。
僕にはそれが物足りなかったんです。
自分で磨いたスキルは全て、一生の資産となる
沖縄に来て一人暮らしをするようになってからは、料理もするようになりました。
もちろん不慣れで、包丁の使い方はあぶなっかしかったり、手順も手際も効率も悪くて2時間かかったりもします。
うまくいくこともあれば、味付けが濃くなっちゃったり、焦がしちゃったりもしちゃう。
でも、間違いなく言えるのは
自分で作った料理のうまさはハンパない
ってことですね。
そりゃ、五つ星レストランとか本格料亭の味とかではないですけど、苦労して自力で作り上げたという事実が、ご飯を美味しくさせるんです。
- 掃除にしろ
- 料理にしろ
- ものづくりにしろ
これらは全てスキルであって、やり始めの最初こそ「時間」と「費用」はかかるかもしれないけど、地道に磨いていけば一生のスキルになるんですよね。
しかもこれらは、一度磨いてしまえば、自分の資産となって失われることはない。
一方、「サービス」や「お金で解決する」というのは、その都度かかる。
短期的に見たら、安いかもしれないし、便利かもしれないけど、長期的に見たら、生涯のスキルを自分で磨いていく方が僕には性に合ってるなって。
もちろん「めんどくさい」とか「やりたくない」って氣持ちが100%ない訳じゃないけど、少なくとも、僕はその楽しさを知ってる。
自分でやらないと得られない体験の素晴らしさと価値を知ってる。
ましてや、自分の子どもとか「教えて欲しい!」って人ができた時に、教えてあげられることがたくさん増えるなって。
それをお金で解決するんじゃなくて、「困った人を見かけたら助けてあげて〜」って。
僕がお役に立てた人が、ご縁とか、次に誰かを助ける循環ができたらいいなって。
そのうち「めんどくさい」「やりたくない」はロボットに奪われていく
オックスフォード大学のオズボーン准教授が論文で、
将来ロボットに今ある仕事の49%を奪われる
って論じてて、
(出典 : 現代ビジネス | 講談社)
なんかはなくなるって言われてて。
これを聞いた・見た時に、いろんな反応があるとは思うんです。
- なくならない仕事は!?
- 今やっておくべきことは!?
- 仕事がなくなったらどうすりゃいいんだよ
ってマイナスな声の方が多いとはいえ、僕は比較的プラスの考えを持ってます。
僕は、「ロボット」「テクノロジー」の発展がとても偉大で、たくさんの革命とか進歩とか可能性をもたらしてくれてるなって感動してます。
それこそ、その使い方によっては、
- 味覚がない人が味覚を感じられるように
- 聴覚がない人が聴こえるように
- 半身不随の人が歩けるように
なんていう希望もたくさんあって。
だからロボットの発展を嘆くんじゃなくて、任せられる部分は任せればいいと思ってるんです。
ロボットと「共存」して生きるという選択。
その結果、仕事はなくなったとしても、手元に残るものが一つあるんです。
それが【時間】です。
だからこそ、この時代に大切にすべきは「時間」なんだ
僕がチャリ旅の中で氣付いたのも、自分には【時間という、とてつもない大きな財産がある】ということでした。
- 旅をする時間
- 料理をする時間
- ものづくりをする時間
- ブログを書く時間
これって、あるようでないもので、当たり前じゃないことなんだなって。
以前こんな記事を書いたことがあって。
結局、時間を生むために働いているのだとしたら、それは本末転倒だなって。
必要最低限で生きていけるし、多くは望まないことで、【自分の手元に残る時間を大切に、自分の人生という時間を大切に】することの方が、僕には魅力的だなって。
僕が今、こうしてブログを発信していたり、生涯のスキルを磨いているのは、今後ロボットの台頭によって仕事がなくなった人の手助けをしたいからなんです。
「そら見ろ。準備しとかないから、仕事がなくなって泣きをみるぞ〜」
とかじゃなく。
そういう時に助け合いできるように、僕は準備しておきたいなって。
きっとそれは、これまでの人生で僕がたくさんの人に支えられて、助けられて生きてきたからで、その恩返しでもあるんです。
- いっぱいいっぱいになったり
- やることがたくさんで嫌になったり
- 自分の時間がなくて余裕がなかったり
そんな人たちの役に立てる・支えられるような「今」を、「なんくるないさ〜」精神で、のんびりと余裕を持って過ごすようにしてて。
まだまだ特別何かをしてあげられるような訳でもないし、「綺麗事言いやがって」って人もたくさんいると思うけど。
それでも、たった1人だけでもこういう生き方をしている人がいるって事実は、時に誰かの背中を押したり、一歩踏み出すための勇氣になるんじゃないかなって。
そんなことを思いながら、1日1日の時間を大切にしてる。
おわりに
物理的に何かをしてあげられる訳じゃないけど、僕には【時間】と【余裕】がある。
だからこそ、
- 精神的に支えられるように
- いつでも頼れる居場所のような存在に
- 会うと安らぎとか安心感を得られるような存在に
そんな人であれるように。
たとえそれが「仕事」じゃなくても「お金」にならなくても、続けていこうと思った今日この頃でした。