横浜に帰ってきてから約1ヶ月。
ぼくは、良いエネルギーを持てていなかった。
自分の弱さや嫌なところに氣付いた時に、どうするかで人は大きく変わる
この1ヶ月で見えた自分の嫌なところ
- きっちりし過ぎ
- 0か100かの完璧主義過ぎ
- 悲観的になり過ぎ
- 誰かと比較し過ぎ
- 人からどう見られるかを意識し過ぎ
- 人として当たり前の部分が抜け落ちている「ホウレンソウ・感謝・謝罪」
- ビジネスマンとしての一般ルールすらままならない
- 何者かになろうとし過ぎ
- ないものねだりし過ぎ
- 劣等感感じ過ぎ
- 自分のできる範囲のことしかやってなさ過ぎ
- 逃げ癖発揮し過ぎ
- 言いたいことを言えなさ過ぎ
- 弱氣になり過ぎ
- 男磨きしなさ過ぎ
などなど。
いろんなことが重なって、どんどんと自分のボロが出てくる毎日は、かなり酷なものでした。
せっかく帰ってきて、光栄なことに「会おうよ!」って声をかけていただけているのに
人に何かを与えるエネルギーではなく何かを奪うエネルギーになってしまっていて会うのが億劫になってました。
そして自分の殻の中に閉じこもって、出てこようとしない。
自分で弱さや嫌なところを見つけまくって、それを言い訳に弱さに浸ろうとすらしていました。
一番よくないのは、やってきたこと、自分の存在すらを否定し始めることですね。
「だれかと一緒にいる自分に相応しくない」とか「とんでもないクズ人間だ」みたいに。
断捨離をしていて昔と変わらぬ自分も見つけた
いつでもすぐに実家を出ていけるように、机にあった昔の教科書だったり
受験の時に使った参考書だったり、いらないものはぜーんぶ捨てました。
着ない服も全部途上国に送ってもらえるように配備して、
売れそうな参考書や遊戯王カードなんかは買取依頼をして。
(結構あった捨てるものたち)
その中でも一際目立ったのが、高校の時の修学旅行の作文。
高校生にもなってどんな闇を抱えてんだって思いました。笑
相当痛い子だっただろうし、ましてやこの感覚が少しでも今の自分に残っているのかと思うとゾッとしたんです。
何も変わってない自分なのかもって。
そんな簡単に人って変われないんじゃんって。
ほんの少しのことすらマイナスに捉えてしまう
久しぶりに会った男友達が、いい服着て、いい靴履いて、香水とか化粧水つけはじめたって話を聞くと
やばい。置いてかれる。
自分は何の努力もしてない
って思ってあわあわしたり。
普段やらないようなことをやってみたら3時間爆睡しちゃって
どれだけ自分のできる範囲内のことしかやってないんだ
自分でできると思った程度の挑戦しかしていないのか
って思って自信喪失したり。
一緒にいた時間を共有した人が、自分には見せない顔を他人に見せていると
あの顔は引き出せない
その顔も引き出せるような、あなたになりたい
って、ないものねだりしたり、比較して劣等感感じたり、自分じゃない何者かになろうとしたり。
とにかく全部がマイナスなんです。笑
だから発してるエネルギーも、おそらく著しくよろしくない。笑
それに氣付いてるのに、どうしようもできずにしょぼくれてる残念な野郎だったんです。
ただ、この癖はもはや直るものではないと悟った
昨晩、ツイキャスとFacebookライブで弱氣な自分をさらけ出してみました。
普段の元氣さはないし、メガネでトーンもめっちゃ低い姿を見せることは
そうなかなかなかったので、結構意外に思われた方も多いかと思います。
ツイキャスでは30分、Facebookライブでは40分ほど話していたのですが
最後の方になって、不思議と「いつまでくよくよしてんだお前は」ってなってきたんですよね。笑
というのも、そんな姿をさらけ出し続けているのが、だんだん情けなくなってきて。
「いいから結局どうしたいんだお前は」ってなってきたんですよね。
よくよく考えてみると、人より氣分とかモチベーションの上がり下がりが激しくて
頻繁にこの状態になってるから、もはやこうなるのは必然なのかとも思い始めたんです。
だったら、この癖が発症するのって何でだろうって落ち着いて考えてみたんです。
自分の嫌なところや不満・弱さを感じるのは、理想があるから
今まで、同じようにこの状態になった時のことを振り返ってみると
どのタイミングも決まって同じような共通点があったんです。
- 現状維持で平坦な毎日を過ごしている
- 自分よりできる人や憧れに遭遇した時
- 自分にはないものや欲しいものを見つけた時
決まって、落ち込んだり、マイナスのエネルギーを発揮する時は
言い換えると「現状に不満を抱えて、もっと良くなりたい」と思っている時だと。
要するに、こうやってマイナスのエネルギーを蓄えては、それを全部プラスのエネルギーに変えるためだったんだなって。
ぼくの性格や性質上から考えても非常に納得する答えが見つかったなと思っています。
常に不安や不満を抱えていて、それがなくならないように生きてきたなとすら思ったほど。
悔しいという氣持ちは、志のある人にしか生まれません
いつか、ぼくの尊敬する方がおっしゃっていた言葉です。
要するに、自分がないものねだりをしたり、不満や弱さばかり見つけるようになる時こそ
なりたい自分像があって、理想の自分像があって、変わりたいと思ってるんだなって。
そう思えた瞬間に、不思議と心が軽くなって、これまで自分が不満に思ってたところや
弱みだと感じていた部分、ないものねだりで欲しがってた部分が全部伸び代なんだって思えるようになりました。
今後、このスパイラルになった時は、自分がグッと前に進むための溜め期間だって思えるし
すぐに「どうなりたいのか」「何が欲しいのか」という観点で見ることができそうです。
あとがき
ここ一ヶ月で、たくさん自分の嫌なとこ見て、不満感じて、比較して、劣等感感じて、自分にない部分をないものねだりして。
— はやて@シェアハウス満員㊗️御礼 (@hayate_cwrkh5) 2017年4月23日
分かったのは、全部なりたい自分があって、理想があって、変わりたい想いがあるからだってこと。
停滞期こそ弱い自分が見えて、次に進もうとしてる。さぁ、あとは登るだけ pic.twitter.com/7OD3Y1w7Wp
ここまで下に落ちきってしまえば、あとはどんどんと登っていくだけ。
いい意味で、この波を楽しみつつ、登る際の起爆剤として跳ね上がっていきます。
常に満足しない。
そして、それをバネに常に良くなり続ける。
そのために、一つ一つ行動を持って、自分を変えていく。
泥臭く、一歩ずつ。まだまだ人生これからだ。