どうも、ずっと夢だったことが身近に迫っているはやて(@hayate_cwrkh5)です。
きっと誰しもが、学生の頃にこんな風に言われたことが一度はあるんじゃないかと思うんです。
オトナになる前にいっぱい遊んどけよ
って。ぼくはこれずっと疑問でしかなかったんです。
むしろオトナになってからの方がたくさん遊ぶべきだし、もっと楽しい人生になるんじゃないの?
って。
- 小さい頃に思い描いた20代のオトナと自分って全然違うよね
- 同世代と比べるとコンプレックスだってある
- 幸運なことにぼくの周りには素敵なオトナがたくさんいる
- ぼくの野望は「憧れ続けられるオトナであること」
- こんなオトナになりたいって人との時間を増やして
- 自分が好きでいられる生き方を貫くということ
- あとがき
小さい頃に思い描いた20代のオトナと自分って全然違うよね
小さい頃に思い描いていた20代ってさ、どんな感じでした?
- お嫁さんがいて
- 家族を持ってて
- ちゃんと働いてて
- 子どもができて
- 幸せな人生を...
みたいな感じじゃなかったですか?笑 少なからずぼくはそうでしたし、きっと同じように考えている人は他にもいるはずです。
でも、ふと振り返ってみると、全然想像と違うんですよね。笑
大学は中退してるし、役者目指してたし、横浜から沖縄まで20日間かけてチャリで行ってたし、沖縄でコテージの管理人をしたかと思えば、半年で横浜に戻ってきて、今ではシェアハウスの管理人をしてる。
いい意味で昔の自分を大いに裏切ってるのが今の自分だなって。
同世代と比べるとコンプレックスだってある
ここ数日、いろんなことがありました。
などなど、普通に生きてたら絶対にたどり着けていない人生になっているのは、このブログのおかげでもあるなと。
でも、同世代の20代と比べればコンプレックスというか、引け目に感じることもいくつかあります。
- 収入はそんなに多くない
- 税金や奨学金は先延ばしにしてる
- 社会的に認められていない
- 結婚もしてないし子どもも家族もいない
とかとか。みんなが当たり前に持っているものが、自分にとっては当たり前じゃないって不安に押しつぶされそうになったりもして。
このままで大丈夫かな?
俺ってこの生き方で合ってるのかな?
って、自分で自分によく問いかけることがあります。そして、こうやって言ってあげるんです。
大丈夫だよ
お前はお前の人生を生きればいいんだ
って。
幸運なことにぼくの周りには素敵なオトナがたくさんいる
結論からいえば、この記事で何が言いたいかって、ぼくの周りには素敵な年の重ね方をしているオトナが多いんです。
- 会社をやめようが
- 稼げてなかろうが
- 批判や中傷を浴びてようが
- 好きなことだけしかしてなかろうが
みなさん、自分で決めた自分の幸せとか、ジブンで作った人生のレールの上を生きていってる。
控えめに言っても、24歳のぼくがクソ憧れるような人たちでたくさんなんです。
ぼくはそういう人たちと関われることが嬉しいし、一緒の時間を共有できることが幸せでたまらないんです。
だからたとえ自分に経済的余裕がなかったり、自分にしっくりくる稼ぎ方が見つかってなくても、わざわざ時間を設けるんです。
ぼくの野望は「憧れ続けられるオトナであること」
先日開催された「とりあえず登壇ナイト」で、ぼくが2回噛んでしまって最後まで言えなかったぼくの夢、ここに残しときます。笑
子どもに憧れ続けられるオトナであり続けること
それがぼくの人生の中でもっとも大きな比重を占めるもの。いわば信念であって、ぼくの人生の指針。
だから、どんな経験も、どんな失敗も、どんな達成経験も、ぜーんぶ子どもに憧れ続けられるオトナに繋がるのであればオールオッケー。
今でこそ、しっくり来る稼ぎ方を模索してて、毎月財布も貯金もちょうどなくなっちゃうような苦しい生活をしてるのもネタのようなもの。
武勇伝を語るつもりはないけど、今後自分よりも若い人たちや、新しい挑戦に向かおうとしてる時に「何とかなっからやってみんさい!」って言って笑って背中を押してあげられるように。
人は変えられないし、人のために生きることはできないからこそ、自分の人生を通して、背中越しに人生の素晴らしさを伝えていきたいのです。
あのね、オトナになればなるほど人生ってクソ楽しいよ!って。
こんなオトナになりたいって人との時間を増やして
ここ1ヶ月の内に東海地方に2回も訪れたんですけど、東海地方の人たちのカッコよさが半端なく好きなんですよね。
- 泊めてくれたり
- 鹿肉をご馳走してくれたり
- キャンプを全力で開催してくれたり
- 車で送り迎えをしてくれたり
きっと余裕がなきゃできないことだし、一切自分に見返りとか利益になることってないはずなんですけど、それをしてくれるんです。
カッコいい以外の何者でもない。
そして土曜日に泊めてくださったひろきさんがこんなメッセージをくれたんです。
世話になった人なんて後からお返しすればいーんだから、今は遠慮せずにいろんなひとにお世話になっときな〜!
それが若者の特権だし、疾風くんがおれの年になったときには年下に同じことをしてるだろうしな!
って。
もちろんお世話になる上で、感謝や礼儀は忘れちゃいけないとして、こんな風なオトナになりたいなって強く思ったんです。
こうやって素敵な歳の重ね方をしていきたいなって。
ぼくがもう少し歳をとった時に、同じように若者たちに「我張れ」って応援してあげられるようなオトナになれるように我張ろうって。
自分が好きでいられる生き方を貫くということ
自分が「この生き方好きじゃないな」って思う時ほど体調が悪くなるし、パフォーマンスも落ちるし、体は正直なんですよね。魂が喜んでない。
だからこそ、どんな批判や中傷を浴びようとも、それは違うって共感されなかったとしても、ぼくは自分の魂が喜ぶように生きたいし、そんな自分の生き方が大好きなんです。
たとえ自分以外の全人類が敵になったとしても、自分は自分の味方でいてあげたい。だって、批判する人や、それは違うんじゃ?っていう人は絶対にいなくならないから。
ならぼくは、たとえ無責任だとしても、同じような人を見かけたら批判じゃなくて、いい面を見つけたいし、肯定する役割でいたい。
あとがき
間違いなく言えることは、これからの人生がまだまだクソ楽しみだということ。どうなるか分からないし、どうにでもなると思うし、分からないからこそワクワクする。
まぎれもなく自分の人生の主人公は自分だけだし、死ぬ時に「クソ楽しかった!」って笑顔で死にたいしね。
- もっと自分の本能に素直に
- もっと自分の好き嫌いに正直に
- もっと自分のワガママに寛大に
今日が最後かもしれないこの一時を、この一瞬をこれでもかってぐらい輝いて生きていこうって今の氣持ちを文章にして残しとく。
こんな自分もいたんだぞって未来の自分に向けて。いつまでも子どものようなオトナであり続けてくれよな。