初めまして!はやて(@hayate_cwrkh5)です。
ありのままの自分をさらけ出すのが苦手だったぼくが精一杯、すべてをさらけ出します。
ボリュームあるので、動画も用意しました!!
- 名前の由来
- 簡単なプロフィール
名前の由来
(出典 : ばらと温泉と日本酒ラベル)
ぼくの名前は、小林疾風といい、芸名ではなく本名。
このブログの名前と僕の名前の由来は、ぼくのおじいちゃんが武田信玄の『風林火山』の“風”である〜その疾きこと風の如く〜から『疾風』と名付けてくれた。ちょっとキラキラネームかもしれないけど、ぼくはすごい氣に入ってる。
名付け親であるおじいちゃんはアルツハイマーになって介護施設にいる。自分の子どもは愚か、家族の名前が一致することはない。それでも覚えててくれてるのがぼくの名前。
先日、おじいちゃんの誕生日会で家族・親戚一同で焼き肉を食べに行った。その時に、初めて直接この名前に込めた想いを聞くことができた。
その名前は私がつけたんだ。
武田信玄のように、例え何があろうと、常に先頭に立って何事も切り拓いていけるような風のように逞しく立派な男になれって。
きっと、おじいちゃんはこう言ったことさえもう覚えてはないだろうけど、一生忘れない。この名に恥じぬ、立派な男として若者たちの先陣を切ってくよ、おじいちゃん。
簡単なプロフィール
履歴書風のあれこれ
- 氏名 : 小林疾風(こばやしはやて)
- 年齢 : 24歳
- 血液型 : AB型(AB型であることに誇りを持ってるタイプ。笑)
- 誕生日 : 5月17日
- 動物占い : 頼られると嬉しいひつじ(ホワイトエンジェルは尽くす猿。笑)
- 出身地 : 神奈川県横浜市
- 身長 : 176cm
- 体重 : 72kg
- 趣味 : ブログ、バスケ、BBQ、チャリ旅、ドライブ、麻雀、映画鑑賞、料理
- 好きな俳優 : 堺雅人、山田孝之、大泉洋、阿部サダヲ、荒川良々
- 好きな漫画 : ワンピース、銀魂、スラムダンク
- 好きなアーティスト : Mr.Children、ウルフルズ、斉藤和義
- 好きなテレビ番組 : クレイジージャーニー、とんねるずのみなさんのおかげでした
- 好きな映画 : ゴールデンスランバー、ぼくたちと駐在さんの700日戦争、アバウトタイム、鍵泥棒のメソッド、容疑者Xの献身、ルパン三世 カリオストロの城、耳をすませば
家族構成〜幼稚園
1993年5月17日、神奈川県の横浜市で生まれる。
ぼくは長男で、4人の弟妹と4匹の猫、年収4桁のサラリーマンの父と、元専業主婦で今はパートで働いている母の7人家族。
おじやおば家族・おじいちゃんおばあちゃんも近くに住んでて、いつもうるさいぐらいのにぎやかな家庭で育った。
5人も子どもがいたのに、ここまで何不自由なく育ててくれた両親にすっごい感謝してる。
幼稚園の頃は、毎日喧嘩したり、女子トイレを覗き込んだり、石を投げてガラスを割って呼び出されたりと、 相当ひどいやんちゃ坊主だった。
小学校〜中学生時代
スポーツは野球と、陸上と、サッカーと、バスケをやってた。
とにかく身体を動かすことが大好きで、学校が終わると毎日地元内で広域ドロケイをして、自ら警察となって泥棒を追いかけ回すのが大好きで。
パソコンやら、楽器やら、ゲームやら、とにかく自分の興味の湧いたことに手を出してみる好奇心旺盛な子どもだった。
中学生になると、漠然と「自分は何になりたいんだろう?」「どんな職業に就きたいんだろう?」と考え始めた。
もちろん答えは出る訳もなく、部活の顧問(右下)で担任だった先生が楽しそうだったから、当時は教師になりたいと思っていた。
ただ、心のどこかで、テレビでふと見かけた「がんばった大賞」が忘れられず、テレビの中の俳優たちがNGシーンをめっちゃ楽しそうにしてて、「俳優」という職業にひそかに憧れを抱いていた。
高校時代
地元の高校に進学し、今後一生付き合っていくであろう最高の友なるものができた。
1年生の時のクラスが一緒だった5人で、いつも一緒にいたし、初めてのお泊まりもこの5人だった。文化祭ではオリジナル演劇を創り上げ、大好評。
2年・3年とクラスが異なっても、夏になると毎年奇劇を作っては放課後に練習。その時間が楽し過ぎて、放課後が大好きだった。今でも海外に旅行しに行ったり、朝までガストでだべったりする仲だ。
ただ、この頃から『なぜ勉強しているのか?』の理由があやふやになり、段々と勉強が疎かになる。3年次も毎日昼休みはお馴染みのメンバーで遊ぶも、他のメンバーたちは上智や早稲田に合格。一方自分は滑り止めの関東学院にしか受からなかった。
色々とショッキングな想いを抱えながら、自分の「夢」って何だろう。将来やりたいことって何だろう。と真剣に考え始めたのがこの時だった。そして、当時の自分は、それがないことへの自分に対する劣等感の塊だった。
大学時代
大学に進学したのも、具体的な目的がある訳でなく、とりあえず大学を卒業しておけば、選択肢が広がるだろうという程度だった。
そんな自分や、劣等感の塊であることに嫌氣がさして、なんとかしようといろんなことに挑戦したのが大学時代。
初めてのアルバイト
どうせアルバイトをするなら、いずれ自分の役に立つことと、好きなことをしてみたいと思って選んだのが結婚式。
その会場のキャプテンと、一緒に働いていたメンバーが大好きになって。披露宴でのご新婦様からの母親に対する感謝のメッセージではいつもこっそり涙を流してたし、毎週土日のアルバイトが楽しみで仕方なかった。
ただ、ウェイターの現場は人の入れ替わりが激しくて。この写真のメンバーが半分大きい会場、半分がこの小さい会場の担当に変えられてから、どんどんと仲間たちが辞めていって。
しまいには自分もい辛くなって辞めてしまった。大好きだったからこそ、最後まで続けられなかったことと、ちゃんとお礼を言わずにフェードアウトしてしまったことが今でも心残り。
東日本大震災への想い
忘れもしない2011年の東日本大震災の時は高校生。何も出来なかった分大学で何かをしようと思ってたので、復興支援学生団体である「僕らの夏休みProject」に所属した。
大学2年の時に、現地に行った時の衝撃は今でも忘れない。
運動場もなく、仮設に住んでいる衝撃の光景の中でも、子どもたちが夢に溢れてたから。自分と違って『大工さんになりたい!』とか『パティシエになりたい!』って希望を声を大にして語っていたから。
恵まれた環境にいる自分が「やりたいことがない」だなんて益々ちっぽけだと思ったし、恵まれてない環境になってしまった子どもたちの分までなんとかしなきゃって使命が生まれた。
商店街活性化にもチャレンジ
大学のゼミでは、神奈川県横須賀市にある「上町商店街」の四季のイベントのお手伝いや新たな伝統作りをゼミ長として行った。
僕らが考えたワークショップがそのまま商店街の伝統となり、今でもゼミの後輩たちと商店街との繋がりとして交流が続いているということが何よりなこと。
マイペンライ!タイのみんなとの思い出
海外に飛び出てみたい!と思っていた自分に、中学・高校と先輩で他学部の先輩が「うちのゼミのプログラムでタイに行くけど、来る?」と誘ってもらう。
もちろん答えはYes。先輩方と一緒にタイへ。
現地の日本語学校の学生たちと観光したり、夜はクラブに行ったり、原付で3人乗りしたり。笑 踊りを踊ったり、お土産を交換したりと、異文化間交流を存分に楽しむ。
まじめな方は、小学生に紙相撲やメンコなどの日本文化を教えること。タイ語もろくにわかんないけど、とにかく得意だった顔芸とジェスチャーと勢いですっごい子どもたちから氣に入られた。
ちなみに、顔が濃くて色黒だから、現地の人たちにタイ語で話しかけられたのはここだけの話。笑
もっといろんなことを
大好きだったバスケは、高校のメンバーでクラブチームを作ってて、毎月大会に出てた。その大会で「審判やらない?」って声をかけてもらって始めたバスケの審判のアルバイト。
好きなバスケの試合を見ながら勉強できるし、多い日には朝9時から夜9時まで3大会審判することもあって、運動不足にはならなかった。
BBQなんかもその内の一つ。とにかく近場でアルバイトがしたくて、たまたま見つけて応募して。
店長さんがめっちゃ素敵な人で、次の年も、大学最後の年も続けてた。雨の日はずぶ濡れになるし、大体炭担当だから火傷もたくさんしたけど、毎年人に恵まれてた。
集まるメンバーがいい人・いい子たちばっかりで、とにかくみんなに会うのが何よりの楽しみで、このメンバーだから続けてたってのが一番だった。
自己啓発セミナーでのキャリア支援
アルバイト時代にお世話になった先輩が受けていた自己啓発のセミナーを、自分も受けて。結果、これでもかってぐらいたくさんの学生のつながりができた。
自分と同じようにやりたいことがない大学生がたくさんいたり、将来をなんとかして切り開こうとする学生がたくさんいて。
そんな学生たちのお手伝いがしたくて、大学3年〜4年の2年間をほぼすべてそれに費やした。自分のやりたいことは結局わかってないくせに、人の手伝いばっかしてた。
その方が楽だったから。人に向き合っていれば、自分と向き合うことを忘れていられたから。
人生で色んな初めてを体験した大恋愛
そのセミナーで同期だった人と、人生で一番の大恋愛をした。毎日が楽しくて、明日が待ち遠しくて、寝ても覚めてもずっと頭の中はその人のことでいっぱい。
ぼくにとっては、すべてが初めてで。デートから旅行から、プレゼントから何もかもが素敵な初体験で。
その頃は彼女が自分にとっての生きがいだった。
人生を変えた人事の一言
ずっと自分と向き合うことを避けていた自分は、2年から就活を少し早めに始めていた。とはいえ、明確な軸がある訳でもなく、もともとあったいろんな経験や外面の良さで乗り切ってたところが多い。
とある企業の方から直接メッセージを頂いて、会ってみたいなって氣持ちが生まれて。
話したり、選考が進んでいくうちに「この人と一緒に働きたいな」って氣持ちが大きくなって。
思い返せば、自分の人生の選択肢はいつも「人」で選んできてるなって思ったのもこの時。
その企業でなにをしたいかではなくて、「その人がいるから」ってのが理由で選考を進めていった。とはいえ、それじゃ通らないことがわかっていた自分は、いいように自分を繕って、それっぽいことを言っていた。
最終面接、幹部の人はそれを見抜いていて「その人がいなくなったらどうするんだ」という質問に何も答えられなかった。
もちろん結果は不合格。それだけは嫌で、もう一度かけあった時にその人から言われた言葉が今も心に残ってる。
『自分の人生だから、自分の人生を幸せにするために生きなさい。自分の人生は自分でつかみなさい。』
当初はあまり理解できなかったこの言葉も、今となってはよく分かる。
当時の自分は、常に『誰かのために』が最優先だった。
働くのも、自分の家族を幸せにするため、とか、子どもたちのため、とか、困ってる人たちのためという理由ばっかりで、自分の人生のことなんか全く考えてなかった。
これを機に『自分を幸せにするためにはどうすればいいんだ』って本氣で考えるようになった。
大失恋と自分の幸せ
彼女は一つ歳上で、配属先が地方となり、遠距離となっていた。
月に1度は、定期的に通っていたけど、不本意で嫌がることをしてしまったり、元々の価値観の違いや、今後の未来が見えなくなったのか、急に終わりはやってきた。
告げられた時の自分は、目の前が真っ白になったし、 毎日のように泣いた。全てが終わったかのような意気消沈っぷりで、これでもかと言わんばかりに『全部自分のせいだ』と責め続けた。
ただ、1年が経った今となっては、何で振られたかもハッキリ分かる。
関連記事 : 彼女と別れてから1年が経った僕に送る12のアドバイス
その後は、たくさんの人がぼくを支えてくれて、人の温かさをこれでもかと言わんばかりに感じたし、今では、すっかり笑い話にできてる。
一切の恨みもないし、一切責めようだなんて思う気持ちもない。一緒に過ごした時間は、人生の中で一番幸せだったから。今となっては、その時の絶望より、「本当に楽しかった」という感情の方が大きい。
むしろあの失恋のおかげで大きくなれたから感謝してる。もしあのまま、なぁなぁな関係が続いていても時間の無駄だったろうし、人としての進化はなかった。
何より【彼女のために】という生き方でなく【自分の人生を最高に楽しくするために】という生き方になった。
その中で一緒にいる人たちも幸せにできたらいいんだって思えるようになった。順番間違ってたなって。まずは自分なんだなって。
それから彼女とは顔も合わせてないけど、いつか再会した時に、お互いに笑い話として話せたらいいな。
大学を中退し、役者の道へ
そして僕は大学を4年の3月に中退した。
それまでずっと自分と向き合うことを避けていたのを辞めて、本当に心からやってみたいなと思うことを考えてみた。それが中学の時に心残りだった「俳優」という道だった。
もちろん食いっぱぐれるかもしれないし、ほんとうになれるかわかんないし、22歳から目指しはじめるなんて遅すぎるかもしれない。そんな風に悩みや不安でたくさんだった自分の背中を押してくれたのは、僕の友人だった。
その友人も就職活動に悩み、ブライダル企業の内定を蹴っては、人財教育企業の選考を受け、落ちることがないと思われた矢先に役員面談で落とされ、その後住宅関係の内定を持っていた。
そんな彼は、涙を流しながら、
『たった一度きりの人生だとしたら、やっぱり俺はお笑いがしたいんや。』
そう言って、住宅企業の内定を辞退し、今は吉本の養成所で頑張っている。その彼の涙ながらの言葉は、当時の自分に深く突き刺さった。
M1の予選に出る友人
だからぼくも諦めて後悔するよりは、どうなるかわからなくてもとにかくやってみようと思った。
ただ、大学を中退したのは、俳優になれなくて逃げそうになった時の自分への戒めと覚悟だけじゃなく、逃げの部分もあった。単位が足りず、残り半年で卒業するか、退学するかで退学を選んだ。
今では両親に申し訳なかったなって反省してる。
それから1年間は怒涛の毎日だった
がむしゃらに動いた4月
とにかく大学を辞めてからは、SNSで「俳優やっている方が知り合いにいたらつないでください!」って呼びかけた。何人か連絡をくれて、役者さんを紹介してもらっては、直接会いに行って話を聞かせてもらった。
ある役者さんが「稽古見にきなよ!」って言ってくれて、見にいった時のことは今でも鮮明に覚えている。それまで普通に話してた役者さんたちが、稽古がはじまると人が変わったかのように役に入っていく様がかっこよかった。
そのままの流れで初めてのオーディションにも参加。いろんな役者さんたちが個性豊かな自己紹介をするも、自分はというと、てんで個性のかけらもないクソみたいな自己紹介をした。
セリフ読みでも、間をあけちゃったり、噛んだり、ハケを間違えて笑われもした。
それでも、最高に楽しかった。夢にまで描いていた「俳優」への道に、一歩踏み出してる感覚があったから。
ご縁で、有名な演出家のもとで修行を積む
友人が師事してもらっていたという演出家野崎美子先生のワークショップにたどり着いたのが4月末。
のざさんは、劇団青年座の養成所を経たのちに、文化庁海外研修員としてイギリスやロシアで本場の俳優教育を10年間近く学んでいた人。
スタニスラフスキーシステムをもちいた俳優教育をしており、そのワークショップが画期的でぼくはそこに入り浸った。
2ヶ月間そこで稽古を積ませてもらった6月末。
突如のざさんに
7月以降は自分の演出家としての仕事で舞台を創るから稽古ができなくなる
と言われ、
そしたら僕暇になっちゃいます
と思い切って言ったところ、
じゃあ演出家助手としてついてくる?
という展開になり、のざさんが演出家を務める舞台に演出家助手としてお手伝いにいけることに。
劇団男魂×浅野温子の『イノチボンバイエ』という夢のような空間に
そんなぼくを待っていたのは、本物の女優「浅野温子」さんをはじめとする「俳優」を仕事とする人たち。
7月〜9月末まで、この夢のような空間で、本場の役者さんたちの生の演技や役作り、人柄、舞台ができあがるまでを一緒に体験させてもらった。
あの頃に自分が思い描いていたよりもずっと生々しい現場で。「演技は嘘で作っているもの」と思っていたが「嘘など一切なく、その役の人生を生きる」ということを身を持って学ぶ。
音響や制作、映像・照明など裏方の仕事をはじめ、忙しい役者さんの代わりに代役を務め、一緒に演技をさせてもらうこともあった。
ブログに載せることを快く承諾してくれた温子さん
舞台も大成功に終わり、東京公演・熊本公演を終えたあとの打ち上げで、温子さんが
素敵な芝居をする人は、素敵な経験をたくさんしてる人だなぁと。
と言っているのを聞いて「自分は素敵な芝居をできるだけの経験なんてまだまだ足りない」と直感的に思う。
何を血迷ったか沖縄に行くことを決意
その後、東京に残って劇団に所属したり、いろんなオーディションを受ける道もあったが、まだ早いと思った。
ちょうど舞台が終わったそのタイミングで、ブロガーつながりの堀元くんが
沖縄のコテージの隣にある管理棟に無料で住んでいいので、現地で管理人をしてくれる人いませんか?
と探していて「これだ」と思った自分は、すぐに食いついた。というのも、きっとこの管理人は今しかできないことだと思ったし、この経験が素敵な芝居につながるかもしれないと思ったから。
現に満島ひかりさんの弟さんの満島真之介さんもチャリで日本一周をしている。
それが10月はじめで、コテージの管理人として働くのは11月だということで1ヶ月暇ができてしまった。
色々と考え、沖縄でも自転車に乗りたかった自分は
そうだ!自転車で沖縄まで行けばいいんだ!
と「普通はそうならねぇわwww」という決断をする。笑
横浜から沖縄までチャリ2016
という訳で、10月10日に横浜を出発し、28日に無事に沖縄に到着。道中、たくさんの人に支えられ、きっと普通では味わえないような経験と時間を過ごすことができた。
チャリ旅の様子は毎日まとめたものをここ(リンク)に残したが、それが面倒な人は19日間の旅をまとめたムービーを見てね。
沖縄での半年間
沖縄県国頭郡恩納村という、本島の真ん中あたりで、コテージの管理人を務めつつ、ブログを書いたり、ライターとしてお仕事をしたり。生活費も驚くほど安く済み、流れる時間もゆっくり。この歳でスローライフを体験できたのは何よりだった。
LINEスタンプを作ったり、画像編集や動画編集などのスキルも磨いた。そして有り余った時間の中で、いろんなことをはじめて自分自身で考え、それをアウトプットし続けた。
自分を見つめ直すと、ボロがたくさん出てきたし、価値観や考え方もたくさん変わった。自分が本当にやりたかったことは役者じゃなくてもできるんだ...って氣付いてしまった残酷な瞬間でもあった。
関連記事 : お前と出逢わなかったら、こんな氣持ちになんかならなかったのに
管理人の任期は半年だったので、夏までいようかどうか迷って横浜に帰ることにした。
その理由については、以下の記事にまとめておく。
関連記事 : 沖縄での4ヶ月を振り返って 〜失敗を恐れるキミへ〜
横浜に帰省してからの2ヶ月
横浜に帰ってきてからは、実はこっそり就活をしていた。包み隠さずに話すと、現実に負けたのと「就職した方がいいよ」の言葉に負けてしまった。
友人のおかげで人材紹介会社2社から履歴書を10社ほど送ってもらった。もちろんこの経歴では、粗探しをされるのが当たり前。書類で9社落ち、1社だけ面接に通る。
「このタイミングで就職?」
という問いに対して、明確な答えが存在していなかったことをたくさん指摘していただいだ。
そんな最中、趣味で続けていたバスケで、靭帯損傷と剥離骨折をやらかす。「社会人失格、就活中にありえない。」が社会から叩きつけられた言葉。
そりゃそうだって思った。それと同時に、自分で進んだいばらの道でしっかり答えを・結果を出さないといけないなって思った。
結局就活はやめた。不器用ながらも、自らが選んだ生き方でよかったんだと胸を張って言えるように。
ただし、人のせいにも、環境のせいにも、社会のせいにもしない。全部自分の責任。自業自得。それだけは何があっても絶対に忘れない。
今後のテーマは以下の3つ。ここに本氣で取り組むことで、無理だと思っていたことをたくさん実現していこうと決める。
なんかふと急に、降ってきたことを書いてまとめた。
— はやて@シェアハウス満員㊗️御礼 (@hayate_cwrkh5) 2017年6月25日
うん、しっくり。
これが今の自分の生きる理由・目的。
とにかく自分は、自分の人生と時間と体験を通して、色んなことを証明していくスタイルの人として2017年下半期頑張る。
人のことも社会のことも変えない。
とことん自分と戦う。 pic.twitter.com/qUaRV2dRp0
ハイパーリバ邸の管理人に
三軒茶屋にある「ハイパーリバ邸」の元管理人のぼりさん(@borilog)にお声がけをいただき、8月中旬からハイパーリバ邸に管理人として入居。
管理人になったことで、ハイパーリバ邸に来たい!という人の敷居が下がったのか、連日いろんな人が訪れてくれるように。
きっとこの頃から運氣はウナギのぼりだったんだと思う。
人生最大の転機が訪れて、最幸な瞬間を向かえる
ぼくが心から応援していて大好きだった「ぺーたーず」しみさんの生誕祭が9月11日にあったんだけど、実はその日に2年ぶりにパートナーができた。それが同じぺーたーずのゆうきちゃんなのだけども笑
しみの誕生日にしみより目立つ報告をしちゃって、めっちゃお祝いされて、それで終わりかと思ってたら「ぺーたーず入れよ!!」ってしみに言われて。
パートナーができただけでなく、ずっと大好きだったぺーたーずの公式メンバーにもなれて。これほどまでに嬉しいことが重なるのは初めてだったし、人生が変わった日とも言える。
もうとにかくそこにいた誰もが祝福してくれることが嬉しすぎて、涙が止まらなかったんだ。「こんなに幸せになってもいいのかな」って。
でもね、そろそろ自分にもっと幸せになってあげてって許してあげることができたんだよね。だれのための人生でもない、自分のための人生なんだからって。
関連記事 : 現代版リアルワンピース【ぺーたーず】は僕らに夢と希望をくれるんだ
24歳、付き合ってから12日でまさかの結婚
それこそ長く暗いトンネルから抜け出したようで、嘘のようなほんとの話。
馴れ初めとか、結婚後のドタバタなんかもゆくゆくは記事にしていくけれど、ひとまず夫婦でアカウントを作ったので、こちらも合わせてフォローしてくださいな(*^^*)
風とヒッピー (@kaze_hippie) | Twitter
そんな「はやて」を今後ともよろしくです!!!
たくさん失敗したし、もがいたけど、これまでの人生は何一つとして無駄なことはなかったなって今では思ってます。
そしてこれからも、人間味を忘れずに、泥臭く生きていこうと思います。
20代の仲間たちや、同じ悩みの人たちとつながりたいし、一緒になにかを生み出していけたら嬉しいです(*^^*)
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