1月3日、午後12時30分。
ぼくの大好きなおじいちゃんが亡くなった。
おじいちゃんに「疾風」という名前をもらった
武田信玄の風林火山の「風」の部分である〜その疾きこと風の如し〜からとって【疾風】と名付けてもらった。
武田信玄のように、例え何があろうと、常に先頭に立って何事も切り拓いていけるような風のように逞しく立派な男になれ
って。
ぼくはこの名前が大好きだ。
必ず自己紹介する時に、この名前を伝えると「珍しい名前だね〜」って言ってもらえる。
珍しい名前だから一発で覚えてもらえる。
名前でかぶったことがないし、特別な名前だから愛着が沸いてる。
長男だし初孫だから一番かわいがってもらった
ぼくはおじいちゃんにとって、初孫だったのもあって、ものすごい可愛がってもらってたっていろんな人に言われた。
よくお母さんが「ちゃぶ台返しをするような人だった」って言ってたから、相当厳しい人だったんだと思う。
お母さんが妹たちを生むために入院した時は、じいじと一緒に寝たり、一緒に囲碁将棋をやったり、大工作業を教えてもらったりしながら遊んでもらった。
時には、いなごの佃煮を食べさせてもらったり、綺麗な魚の食べ方を教えてもらったのもじいじだった。
ものすごい厳しい人なはずなのに、一番甘やかしてもらった。
そんな思い出がいまでも鮮明によみがえる。
じいじはすごい人だった
会社の社長をやってたり
剣道で六段をもってたり
警察署や大学で剣道を教えてたり
自分で日本刀を作ったり
木工彫刻で仏像を作ったり...
とにかく器用で
威厳があって
すごい人だった。
20歳近くになるまで腕相撲で勝てないぐらい腕っぷしも強かったし、いつも握手をすると握力の強さに驚いてた。
ぼくはおじいちゃんが大好きだ
お父さんの父さんは幼い頃に亡くなってたから、ぼくにとってのおじいちゃんは、お母さんの父さんであるじいじだけだった。
とにもかくにも、言葉では表せないほどにじいじのことが大好きだ。
こんな風に写真がいっぱい残ってるのがとても嬉しくて。
たくさん遊んで
たくさん可愛がってもらって
たくさん愛情をもらったんだなって。
じいじはどんどん弱っていった
じいじは、一度くも膜下出血で倒れてからアルツハイマーが進んで老人ホームに入って、家族の名前や顔が一致しなくなった。
それでも覚えていてくれたのがぼくとぼくの「疾風」という名前で。
去年の10月、横浜から沖縄に出発する前に会った時には、覚えててくれたぼくの名前も忘れてしまっていた。
少し悲しかったけど、生きてる内に会えることがどれだけ大切で、どれだけありがたいことか分かってたから、生きてるじいじに会えるだけでも嬉しかった。
そのうちごはんが食べられなくなって、入院して胃瘻になって、どんどん弱っていって。
お母さんが「もうかわいそうで見てられない」と言ってたから、今年の4月には沖縄から帰ってきてたけど、ぼくも会うのが怖かった。
生きている間に会えてよかった
去年の12月末、じいじが危篤になったって連絡があったから、一緒に友希にも来てもらって久しぶりに会いに行った。
ごはんを食べられなくなったからガリガリになってたし、しゃべることもできなくなってたから、そんな姿を見てられなくて悲しい氣持ちにもなった。
きっとこれが最期になるって分かってたから、とにかく伝えたいことは伝えようって
「じいじの孫でよかった」
「【疾風】って名前をくれてありがとう」
「最近結婚したんだよ」
「友希と一緒にもっと幸せになるからね」
って伝えたんだ。
もう忘れちゃったと思ってたけど、ぼくのことがわかったのか涙を流してた。
ぼくも涙が止まらなかった。
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それから年が明けて、1月3日にじいじが亡くなった。
老人ホームに入ってからずっと「家に帰りたい」って言ってたから、家族の意向もあってようやく実家に帰ってこれたじいじの顔は、こころなしかホッとしているようにも見えた。
1月5日に通夜を行って、6日に出棺した。
いつもは滅多に泣かない母や、おばさんが泣いているのがとても辛くて、つられて泣いた。
でも悔いはなかった。
伝えたいことは伝えられたし、生きている間に顔を見せることができたし。
しいて言うなら、ひ孫を見せてあげたり、結婚式に招待できたり、一緒にお酒が飲めたらよかったなぁだなんて思ったりもする。
そんな今思うこと
ずっと生きててくれればいいのに。
だなんて思ったりもするけど、ずっと生きてるのも辛いんだろうなって。限りがあるからこそ「生きる」ってことに輝きが出るんだろうなって。
今後自分の親や、お世話になった人、友人や大切な人の最期の瞬間に立ち会うことが多くなるんだなと思うと、ちょっぴり憂鬱にもなったりする。
そして改めて、死んでしまった人にはもう会えないんだという実感がふとした時に襲ってくる。とてつもなく悲しくなるし、涙が溢れるのをおさえられない。
それでも時間は止まらないし、人生は進んでいくから、悔いのないようにやりたいことはすぐにやって、大事な人には大好きだと、大切だと伝えていくしかないんだなって。
じいじには、かけがえのない「疾風」という素敵な名前を貰ったからこそ、この名に恥じぬ生き方をしていきたいし、もっともっとこの人生を輝かせたい。
自分のこどもや孫やひ孫が生まれた時は、じいじにしてもらったように可愛がってあげて、たくさん愛情を注いでいきたい。
この世を去る時には、家族やたくさんの人に悲しんでもらえるぐらいに、愛され続ける人であり続けたい。
そんなことをじいじとのお別れで教えてもらった。
「疾風」としての今後の人生を天国で見守ってくれてるといいな。
ぼくの大好きなおじいちゃん。
ほんとうに今までありがとう。