『もやもやウロウロしてるって事は、出口を探し続けてるって事だ。思考停止じゃない。』
どうも、駆け出し俳優ブロガーの疾風(@hayate_cwrkh5)です。
先日、こんな記事を書きました。
今もたくさんの人からご連絡を頂き、その都度100リストをどんどんと追加しています!今や、10人分ぐらい集まったからその内100人分集まりますように!笑
今でこそ「やりたいこと」がたくさんある僕ですが、学生時代にこんなにあったかと言うと、全くなく、むしろやりたいことを延々と探していたし、やりたいことがある人たちがうらやまし過ぎて、やりたいことがない自分はクズだとも思ってました。
今日はそんな僕の過去の話をお届けします。
やりたいことがないあなたへ
僕がやりたいことを探し始めたのは中学生だった
放課後の部活動や、各季節にある文化祭や体育祭など、楽しい日々が過ぎて行くと同時に迫ってくる「受験」という壁を目前にして、僕はきっと人生で初めて「自分のやりたいことって何だろう?」と考え始めた。
その時は、「やりたいこと=どんな仕事をするのか」だと思ってて、どんな仕事にしようか?というところから考え始めた。
まだまだその時は社会になんて目を向けたことがないから、自分の身近にいる尊敬できる人の職業に憧れるのは、至極当然なことで。僕のその時のやりたいことは“教師”だった。
部活動の顧問であって、自分の担任でもあったその時の先生は、とても生徒から好かれていて、人間味に溢れている人だった。
怒る時は怒るし、嬉しい時はニヤニヤ笑うし、悲しい時は涙を流してた。
不良に対しても、あんまり学校に来ない子にも分け隔てなく接するし、今思えば僕に「勉強以外の大切なこと」みたいなものを教えてくれたのは、その先生だった氣もする。
だから僕はその先生みたいな先生になりたいと思ってた。
やりたいことが分からなくなった高校生時代
「受験」はしょーもない理由で前期試験をバックれ、後期試験は今の自分の成績で受かりそうな近所のチャリ通で通える高校にした。
周りの色んな人から「もっと良い高校行けたのに!」とか「もったいない」って散々言われたけど、僕にはこの頃から『勉強する意味って何だろう?』と毎日のように考えるようになっていた。
小学生の途中までは、良い成績をとれば親が褒めてくれた。でも、僕は5人兄妹の長男だったから、次第に両親は仕事が忙しくなったり、弟妹の子育てに時間を割くようになって、僕はあまり家族に学校での出来事とか、色んな話をだんだんしなくなった。
ましてや、親戚や家族が集まる席では「お前は小林家の長男なんだから、立派な仕事に就くんだぞ!」って言われ続けたし、「いつでも弟妹の見通しになるんだぞ!」って言われてきた。
僕の勉強のモチベーションなんてこの頃にはどこにもなくなってたし、何なら“認められたいが為にやってきた勉強”には、意味がないんだなとも思い始めていた。できれば親戚が集まるご飯にも行きたくないとも思ってた。
『今勉強していることが将来役に立つのかな?』
『こんな知識、大人になってから使うのかな?』
『みんな何のために勉強しているんだろう...』
そんな悩みと、良い成績をとらないと親や先生に心配されるジレンマの間に居続けた。
そして、中学の頃は先生になりたいと言っていたけど、『先生になって何を教えたいんだろう?』とか『先生になるって、何の教科の先生になりたいんだろう?』と考えれば考える程、これが自分の本当にやりたいことなんだろうか。と正解が分からなくなっていた。
そんな時に出会った面白い仲間たち
高校1年の時のクラスメイト。俗に言う“いつメン”なるものだろうか。笑
ひょんなことをキッカケに、毎日一緒にいたし、毎年文化祭には出し物を作ったし、よく一緒に泊まった。
そんな仲間たちには、それぞれ強みとか、得意なこととか、やりたいことみたいなものがたくさんあった。
1人は、全国模試で1位とっちゃうぐらい頭がいい。でもめちゃくちゃネクラで人見知りなんだけど面白い番組が作りたいって今ではフジテレビで働いてる。
1人は、ひたすら身体を張って笑いをとりにいってて、その内ダンスで世界一を目指すんだって言って毎晩深夜練したり、ダンスバトルに出たり。今では映画監督を目指してるけど。
1人は、キモち悪がられるぐらいアイドルオタクなんだけど、帰国子女で英語ぺらぺらで今では楽天で働いてる。
1人は、めっちゃゲームとかアニメに詳しくて、いつでも客観的視点から冷静に意見を述べるキレものなんだけど、実は175cmなのに体重が40kg代だったり。翻訳の仕事がしたいって言ってたけど、今はリース事業に携わってる。
そんな彼らと一緒にいて楽しかったけど、『自分の取り柄って何だろう?』とか『自分にはそんなにやりたいことなんてないな...』っていつしか比較して、そんな自分が心のどこかでは心底嫌いだった。
一緒にいればいるほど日に日に劣等感は増していった。
大学受験はもちろん失敗、そして人生のドン底へ
高校1年の頃から、良い大学に行けるようにと思って通い始めていた塾もやる気が湧かないのは当然だった。何のために勉強してるのか分からないし、やりたいこともなければ、行きたい大学なんてのももっぱらなかった。
受験で受けた大学は滑り止め以外全て落ちた。
塾に通った3年分の学費と、受けた大学の受験費と合わせると軽くとんでもない額になるのを知ってたから、ひたすら両親に申し訳なくて、消えてなくなりたかった。親戚にも合わせる顔がなかったし、何か言われるのが怖かった。弟妹たちの見通しにもなれてない。この時期の自分は、ほんとにどうにでもなっちゃえばいいのに。って思ってた。
そんなある日、みんなの受験が終わって飯でも食いに行くことになったんだけど、その前に、当時好きだった女の子と僕と、いつメンの一人ともう1人の野球部のマネージャーと4人でカラオケへ。
あんまり乗り気じゃなかった。盛り上がれる気分じゃなかった。頭の中は、今後どうしようでいっぱいだったから。
そんな中、目の前でいつメンの一人とマネージャーが急にキスをし始めた。
僕にとって、そいつは高校時代ずっと彼女いない同士、ライバルみたいなもので、その子が2人目で。そんなものを見せつけられたことが何より悔しかった。
その後、自分の夢について語り始めて。それを「◯◯、すごーい!!」と輝くような目で見ている当時好きだった女の子の様子を見るのが苦しくて苦しくて仕方がなかった。
自分にはたいそうな夢もなければ、受験も落ちたし、彼女だってほぼできたことがない。自分に対する自信なんて一切なかった。
その後、ファミレスで合流して受験の結果を聞くと、早稲田とか上智とかみんな凄いとこに受かってた。3年生になっても毎日昼休みに中庭でサッカーをして遊んでいた僕ら。それでも結果を出したみんなと、結果を全く出せなかった僕。
もはや何がしたいかなんて考える余裕すらなかったし、同時に「学歴コンプレックス」なるものも煩った。
とにかく動きまくった大学時代
「学歴コンプレックス」を煩った以上、何でカバーするかってそれだけの実績なり、経験なり、人間力を高めるしかいい企業に入る道はないと躍起になった。
とにかく、動きに動きまくって自分のもとにやってくるものは何でも手を出した。以下、大学時代にやったことリスト。
- HANZOYAという結婚式場兼フレンチレストランで、披露宴のウェイターとしてサービスやホスピタリティを学んだ
- クリスタリアという会社にて、バスケットボール大会の運営
- チャリ旅で横浜から箱根の山頂のホテルまで行くという無謀な旅
- 高校バスケ部で流行った麻雀。先輩の空調で麻雀大会と徹夜麻雀をよくした
- バスケも飲み会も派手にやるサークルに所属
- 教習で免許取得
- Mr.Childrenのライブに参戦
- 「僕らの夏休みProject」という学生団体で、東北地方の復興支援活動を2年間
- 学部で2番目に成績が良いと言われたゼミに所属、ゼミ長を務め、商店街の活性化プロジェクトに取り組み、今でも残る伝統にした
- 海外協力隊とかに参加しようと思うも、その旨を聞いた他学部の先輩が“うちのゼミで一緒にタイに行く?”と誘ってくれたため、喜んで受け、タイの日本語学校の学生と異文化間交流。
- 高校の部活仲間とバスケのクラブチームを作り、今でも毎月大会に参加
- いつメンと毎年海外へ(バリ島、グアム)
- 自己変革リーダー育成プログラム「myself」に参加
- 組織変革リーダー育成プログラム「Lead」に参加
- 大学で初めての彼女ができる
- 家庭教師のアルバイト
- BBQ場のアルバイト
- 2年でインターンや就活を始める
- ガクセンに掲載される
- 彼女と沖縄旅行
- PSFという学生営業団体に短期間だけ所属
- 逆求人イベントに出場しかける
- 牡蠣小屋のアルバイト
- ネットワークビジネスの「Amway」に一時期関わる
- 「myself」にアシスタント(OB・OG)として15回参加
- 「夢合宿」というプロジェクトに関わる
- 彼女との別れ
- 「Solution」という学生のキャリア支援のイベントの主催を2回務め、伝説を作る
- 「change」というプログラムメンバーになる
- 学生合コンに参加する
- リアル脱走ゲームをする
- 就活をやめる
- 起業を目指す
- カフェのアルバイトをする
今となっては、「やりたいことやってんじゃん」って当時の自分に言いたくなるけど、これが「やりたかったこと」だとは微塵も思わなかった。当時の僕にとっては、「何かを探す過程のもの」でしかなかった。
色んなことを経験したし、人脈も驚くほど増えた。それでもまだ何かがずっと物足りなかった。何をやっても満足しないし、なぜかしっくりこないし、途中で飽きてしまったり、違うものに興味が湧いたりしてた。
でも、色んなものをやっていく内にようやく分かったことがあった。
それは、「やりたいこと=仕事ではなくてもいい」ということだった。これだけの体験と時間とお金を費やしてわかったことがこれだった時は拍子抜けだった。
みんな「何かにならなきゃいけない」という強迫概念に縛られてる
「何かにならなきゃいけない」という呪文にガチガチに縛られて、「どんな人間になりたいか」がすっぽり抜けていたように思います。
漫画 : 銀の匙 -Silver Spoon-より引用
そして今、ここにたどりついた。
自分は「夢」や「やりたいこと」を話す時に、その前提が“輝かしいもの”とか“仕事に繋がる何か”でなければならないという危機感・圧迫感・緊張感みたいなものがあったんだなと。
「夢」や「やりたいこと」がなくてはならない!みたいな洗脳を自分に暗示してたんだなぁって。
それよりも自分自身がどんな人間でありたいんだろう?というものを考え始めてスッキリした気がする。
なくたって構わない
死にはしない
生きていられるだけで十分だ
今ではそう思えている。
ビートたけしが「夢を叶える」ことについて語ったこと
少し長くなりますが、夢ややりたいことを探すあなたに是非読んで欲しいです。
今の社会は、夢を持てとか、自分らしさを生かせとか、やたらとそういうことを子どもたちに強調する。道徳の授業もそうらしい。夢に向かって努力することが生きる喜びになる、なんて書いてある。
貧乏だった時代には、そんなこといわなかった。「清貧」が、あの時代の道徳だったはずだ。最近の道徳の教科書に、そんな言葉は見つからない。清く貧しく美しくなんてのは、もう流行らないらしい。
節約とか節制なんて言葉もあまり見かけなくなった。時代が変われば、道徳は変わるのだ。
だけど今の人類が置かれた立場を考えれば、むしろ夢をかなえようなんてことより、清貧の方が大事なんじゃないの、と思う。
人間がじゃんじゃんエネルギーを消費して、地球の平均気温がじわじわ上がって、近頃は異常気象が当たり前になってしまった。5月に台風が来たり、気温が30度を超えたりしても、今じゃ誰もたいして驚かない。
東日本大震災のときは、節電しないと夏を越せないとかいって、東京の夜は暗くなった。自動販売機が電気の無駄遣いだと目の敵にされた。
昔の夜が戻ってきたみたいで、こういうのもいいなあなんて思っていたけれど、しばらくしたらまた元通りのピカピカな夜が戻ってきた。節電なんて言葉もどこかへ行ってしまったみたいだ。
だけど、地球上で起きている問題の大半は、人間があまりにもエネルギーだの資源だの食糧だのを無駄遣いしているから起きているという事実は変わらない。
中国の14億人が、アメリカ人と同じくらいエネルギーを消費するようになったら、地球は保たないなんていわれている。このままではどう考えたって文明は破綻する。
現代人は今すぐにもライフスタイルを改めなくてはいけないはずなのに、その話はいっこうに進まない。節電や節約くらいで、この問題が解決するとは思えないけれど、それでも解決に向けた最初の一歩にはなる。
それは誰もがわかっているはずなのに、そういうことにはあまり真剣にならない。節電だの節約だのは、結局のところ経済活動のマイナスになるからだ。
清く貧しく美しくを奨励されて、みんながモノを買わなくなったら、消費が落ち込んで、経済成長率は下がって、世の中は大変なことになる。
人間は、幸せになるために生まれてきた。じゃんじゃん消費して、経済成長して、みんなで豊かになろうっていう高度経済成長期の幸福論は、バブル崩壊だの、大災害だのいろんなことがあって、いったんは否定されたはずなのだが、今も脈々と生きている。
大志を抱け、夢を持てと子どもにいうのも、そういう文脈の話だ。なにしろその夢の見本が、スティーブ・ジョブズやマイケル・ジャクソンだったりするわけだから。イチローでも、本田圭佑でもいいけれど。
とにかく成功して、金持ちになって、いいクルマだの家だの自家用ジェットだの、なんでも好きなモノが買えるようになるっていうのが、要するに普通の大人が普通の子どもに教えている平均的な大志や夢の中身だ。ミもフタもない話だけど。
石川遼が出てきたときは、子どもにゴルフを習わせる親が増えた。今は錦織圭を目指してテニススクールに通う子どもが増えているんだろう。
夢を抱けっていうのは、前向きに生きろってことなんだろう。夢がかなうと信じて、一所懸命に勉強したり、スポーツに打ち込めってことだ。子どもの鼻先に夢という名のニンジンをぶら下げているわけだ。
だけど、夢を持てば、誰もがスポーツ選手になったり、大金持ちになれるわけじゃない。
お笑いの世界にも、近頃は何を勘違いしたか、そういう成功を求めて飛び込んでくる奴らがたくさんいる。昔は、子どもが芸人になるなんて、親の恥だった。
俺の母親は、俺が浅草のフランス座で働き出したときは、息子は留学してますなんて近所にいってたくらいだ。今はもう、そんなことをいう親はいない。芸人になって、テレビでみんなに笑われるのは、誇るべき職業ということになったらしい。
それも、芸人が儲かるっていう話が広まったからだろう。実際に儲かっている芸人なんて、それこそ一握りでしかないのに。夢をかなえた、ごく一握りの人にスポットライトをあてて、夢を見ろと煽る。
宝くじの宣伝と同じ程度の話なのに、学校の教師までが、子どもに夢を持てなんていっている。世の中に余裕があるから、そんなことをいっていられるのだ。
夢に向かって頑張っていた子どもが、挫折してフリーターになっても、なんとか喰っていける世の中だから、夢を追いかけろなんて無責任なことがいえる。
「飢え」というものを体験した世代はもうほとんどいなくなった。
昔はそんなに甘くなかった。ちゃんとした職業に就けなければ、路頭に迷うんじゃないかって親は心配したものだし、実際そういうことはいくらでもあった。
そういう時代には、誰も夢を持てなんていわなかった。というより、うっかり夢を語ろうものなら、親に叱られたものだ。
「医者になりたいだって? 何いってんだ。お前はバカだし、ウチにはカネがないんだから、なれるわけないじゃないか」
「画家になりたい? バカヤロウ!絵描きで飯が喰えるわけがねえだろ」
頭をひっぱたかれて、それで終わりだ。夢なんて追いかけてないで、足下を見ろというわけだ。乱暴だけど、それが庶民の知恵だった。
今なら、子どもの可能性を潰す悪い親ってことになるのだろうか。もしほんとうにその子に医者や画家になる意志と能力があるなら、そうやって頭を叩かれながらでも医者や画家になるだろう。
ほんとうにやりたいことがあって頑張っている奴を否定するつもりはない。成功しようがしまいが、それがそいつのやりたいことであれば、思う存分にやればいい。だいたいそういう人間は、夢を持てなんていわれなくてもやり遂げる。
夢を追いかけるといえば聞こえはいいけれど、それはつまり輝ける明日のために今日を犠牲にするということだ。
ほんとうのことをいえば、人も羨むその「輝ける明日」なんてものは、いつまで経ってもやってこないというのに。
人がほんとうに生きられるのは、今という時間しかない。その今を、10年後だか20年後だかの明日のために使ってどうしようというんだろう。
昔はそういう人間を、地に足が着いていないといった。夢なんかより、今を大事に生きることを教える方が先だったのだ。まだ遊びたい盛りの子どもを塾に通わせて、受験勉強ばかりさせるから、大学に合格したとたんに何をすればいいのかわからなくなる。
夢なんてかなえなくても、この世に生まれて、生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ。俺は心の底からそう思っている。
どんなに高いワインより、喉が渇いたときの一杯の冷たい水の方が旨いお袋が握ってくれたオニギリより旨いものはない。
贅沢と幸福は別物だ。慎ましく生きても、人生の大切な喜びはすべて味わえる。人生はそういう風にできている。
そんなことは、誰でも知っている。だけど、そんな大切なことも教えないで、夢を追いかけろという。
頑張って勉強して、スポーツやって、起業したり、有名人になったりしなければ、幸せになれないと脅す。そうしないと経済成長が止まって、大変なことになってしまうからだ。
だけど、大変なことになるのは、いったいどこの誰だろう。 少なくとも、清く貧しく美しく生きている奴ではない。
読む人の現状や、今いる境遇によって感じることは異なるはず。もう少し細かく噛み砕く。
今の社会は、夢を持てとか、自分らしさを生かせとか、やたらとそういうことを子どもたちに強調する。
これは無意識の内に僕もしてしまっているかもしれないとハッとさせられた一言。
人間は、幸せになるために生まれてきた。
分かってるつもりなんだけど、『幸せって何だろう?』というものは、きっと人によって違うから正解なんて探しても見つからない。
とにかく成功して、金持ちになって、いいクルマだの家だの自家用ジェットだの、なんでも好きなモノが買えるようになるっていうのが、要するに普通の大人が普通の子どもに教えている平均的な大志や夢の中身だ。
ここは僕は違うなと思った。モノに興味はない。
だけど、夢を持てば、誰もがスポーツ選手になったり、大金持ちになれるわけじゃない。
これも痛い程に分かる。誰もがなれる訳じゃない。夢を叶えた人たちの足下には、叶えられなかった人がきっと大勢いる。
夢に向かって頑張っていた子どもが、挫折してフリーターになっても、なんとか喰っていける世の中だから、夢を追いかけろなんて無責任なことがいえる。
ここが時代というものだろうか。フリーターでも最低限生きていくには困らない時代だ。
もしほんとうにその子に医者や画家になる意志と能力があるなら、そうやって頭を叩かれながらでも医者や画家になるだろう。
ここがきっと「夢を叶える人」と「夢を叶えられない人」の違い。「夢を叶える人」には、どんなに笑われようと、どんなにバカにされようと、どんなに失敗しようと成し遂げる根性と諦めないという才能がある。
成功しようがしまいが、それがそいつのやりたいことであれば、思う存分にやればいい。だいたいそういう人間は、夢を持てなんていわれなくてもやり遂げる。
ほんとにその通りで、誰かにやれって言われてやってるんじゃない。成功するかもしれないし、失敗するかもしれない。それでもどうなるか分からない状況すらも楽しんでいる。
人がほんとうに生きられるのは、今という時間しかない。
絶対に死なない人なんかいない。人に訪れる平等なものが『死』であって、それはいつ来るか分からない。
夢なんかより、今を大事に生きることを教える方が先だったのだ。
じゃあ今を大事に生きることってどんなことなんだろう?って考えてみると、案外至極普通のことが思い浮かんでくる。
親孝行だとか、好きな人に好きだということとか、これまでお世話になった人にお礼をするとか、家族や親戚との時間を増やすとか。
きっと大したことではない、ごく普通のことが今を大事に生きるということなのかもしれない。
贅沢と幸福は別物だ。慎ましく生きても、人生の大切な喜びはすべて味わえる。人生はそういう風にできている。
夢を目指さなくたって、やりたいことがなくたって人生で大切なものは身近にあるというメッセージ。
僕にとって「夢を追う」「夢を叶える」「やりたいことをやる」というのはある種の最高の贅沢であることは間違いない。
だからこそ、日常の当たり前や普通というものをむしろ大切にすること、が何よりも忘れてはならないことなのかもしれない。
だから僕は「やりたいことが見つからない」からって責めたりしない
見つかる人は目指せばいい。でも現実は厳しい。だから僕は好きにすればいいと言う。それでも応援してる。
無責任ではなく、それは応援できるように自分も捨て身の夢追い人になったから。職はないし、家庭もないし、財産もなければ借金だらけ。
だからこそ、僕は「現実」と「夢」のどちらの大切さも一緒に伝えていく。
一方やりたいことが見つからない、やりたいことがわからない人も何も悪いことじゃない。生きてるだけで十二分に最高なことだから。
むしろなくて当たり前だし、わからなくたって本当は困ることなんか一切ない。
だから落ち込まなくていい。夢がある人や、やりたいことがある人を羨まなくていい。きっと大事なものは、ふとした瞬間に身近なところにあるかもしれないから。
夢を追うことと現実を見ることってどちらも大切なんだね。もっと強迫観念とか強迫概念がなくなる生きやすい世の中になるといいね、ハム太郎。
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